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第264回 W杯所感

ブラジルでのFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ(以下W杯)。会場の未完成やストで開催さえ危ぶまれたが、開会から一週間を経た6月19日現在、幾つかの問題点はあるが危惧された割には順調に進んでいる。私がブラジルに滞在しているわけではなく、メディアの圧倒的な情報の中から取捨選択拾い読みし、私なりの感じでW杯に触れてみたい。開幕戦のブラジル対クロアチアに西村雄一主審と相楽亨・名木利幸の副審の日本人審判団が選ばれた。このことがどれくらい凄いことなのか、日本サッカー協会の大仁邦弥会長は『代表(日本チーム)が決勝にいくようなものかな。素晴らしい。開幕戦でホームのブラジルの試合だから難しいと思うが、これまでの実績が評価されているので心配はしていない』と語っておられた。その難しいとの予測通り1対1の拮抗した展開の後半26分に、クロアチアのDFがペナルティーエリアでブラジル選手の肩をつかみPKの判定を受けた。恐らく勝負を決した判定。

その日、私に近い専門家に質した答えは『私は吹きません(反則とは)』。また、倒れ込んだブラジル選手のシュミレーション(反則の笛を誘発する欺瞞行為)との声も聞かれた。インターネットでも様々な意見が飛び交ったが主催者のFIFAが「この最も困難な試合を西村氏に託して今大会の基準を作った」との説が受けとめられている。私がサッカーに関わって8年目の超新米の意見として述べると、ペナルティーエリア内の反則(笛があったら)はPKの厳然たるルールがある以上、確かに反則はあったと判定したのであり、そうであるのが正しいと思う。その私なりの根拠は西村氏が問題の場面のすぐ近くに居て、なおかつ明確に反則者を指差して判定したこと、説得力十分だった。ご記憶の方が多いと思うが2000年の南アフリカW杯欧州予選のフランス対アイスランド戦。フランスのアンリ選手が明らかにハンド(反則)でボールをコントロールして決勝点となるギャラス選手へのパスをしてフランスが出場権を得た。(試合後のインタビューでアンリ選手は反則はあったとハンドを認めた)この際の審判の致命的ミスは、位置が遠くアンリとゴールの同一線上に居て問題のプレーを見落とした。それとの比較では西村氏の位置はベストであり、私もサッカーではないが球技の監督の経験からプレー近くの判定には、何の違和感も持たなかった、そんな経緯からの所感。また、今大会から採用された、FKの際のポイントと防御側の壁のスプレー表示、短時間で消えるこのスプレーでゲームの進行は実にスムーズになった。さらに、ゴールインか否かのカメラの判定も実に明解。絶えず進化する競技運営に拍手をおくりたい。

W杯の日本のゲームについては、予選リーグが終わった時点で感想を述べたい(後だしジャンケンと言われても仕方ない)。ただ、直前の米国での強化試合、対コスタリカ戦の3対1、ザンビア戦の4対3の勝利について、失点が多いことに懸念をもち、県内でのサッカー関係の催しの挨拶で、失点が多いのが問題と言ってきた。

W杯は国威発揚の最たる舞台だから、各大陸の予選から最高に盛り上がる。他の球技が手を使いピンポイントの精緻を競う中で足のみでプレーするサッカーについて、関西学院大学の柳澤田実准教授は6月17日の朝日新聞の「W杯読み解く」で『刻一刻と変わる予測不可能な「群れ」がいかに創造的で豊かな結果を生みだすか』と、サッカーの本質を説いているが、いずれにしても勝負は紙一重の世界。現に、たった今、前大会優勝のスペインがチリに敗れ去った模様をテレビが伝えた。狂喜のチリサポーターの一人が掲げた"adios spana~さようなら・スペイン"の短い言葉。本来Espanaと記すが、チリではspanaでよいのだろう。いずれにしても簡潔でインパクトがあり笑えた。

日本人サポーターのゲーム終了後のゴミ処理の話題は世界中から賞賛を受けている。ネットでも『本当に尊敬に値する人達だ日本人は』や『大災害に直面しても、サッカーの試合に負けてしまっても品性高潔、日本よ君たちは素晴らしい』等の言葉があふれている。ある意味ではW杯で日本代表の優勝に匹敵、いやそれ以上に誇らしいことではないかと思う。誰のアイディア、仕掛け人はと考えがちだが、どうやらJリーグの会場からの自然発生のようだ、強いて探せばアルビレックス新潟のサポーターあたりから始まったとの説があるが、いずれにしても日本各地のJの会場でこれに近い行為は行われており、日本人としては格別なことではないが、世界の人たちに向けて『教育と礼儀正しさの日本』を強く印象づけられたことは国際社会の中の日本にとって本当に喜ばしい出来事だった。

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