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第288回 2015・シーズン到来

3月6日は「啓蟄」けいちつ~広辞苑では「すなわち冬ごもりの虫が這い出る」、とやや素っ気ないが、この日の熊日の「新生面」では詩人の吉野弘さんの「譲」~春の気配を感じると雪は「退位」に同意する。そして<冬の帝王から・春の帝王への禅譲は・急速に・親しみをこめて行われる>と、この季節の移ろいを詩人ならではの感性で紹介している。そして我々は待望の躍動的なスポーツのシーズンの到来を感じる。

1日、熊本市総合体育館に日本レスリング協会強化委員長でJOCナショナルコーチの栄和人氏をお招きして熊本市民スポーツ講演会が行われた。演題は「挫折からの復活」。五輪で三連覇の偉業を果たした吉田沙保里選手らを育てた名伯楽。指導者と選手の"強い信頼関係"が苦しい状況を乗り越え金メダル獲得につながった想いを語られた。2013年にIOC(国際オリンオピック委員会)は五輪競技種目について、伝統のあるレスリングが除外種目の危機にあることを報じた。その際に吉田選手を中心に日本のレスリング協会が一丸となって国際社会にアピールして存続を実現させたことを覚えておられる方は多いと思う。苦しい状況とはその意味も含めて乗り切り今日に至る"強い信頼関係"に敬意を表したいものだ。なお、来月の4月8日から14日まで女子ナショナルチーム・スタッフと選手総勢30名の強化合宿が熊本市で行われる。

3日、2019年日本で開催されるラグビーのワールドカップ(以下WCと表す)の全国12会場がアイルランド・ダブリンでの「W杯リミテッド」の理事会で決定、熊本も選ばれた。決め手は県民運動公園の「うまかな・よかなスタジアム」の存在。ただ、現在のキャパは3万2千人、これを4万人とする工夫は必要だろうが、世界の基準を満たして外国勢を迎えたいものだ。熊本県のラグビー協会は2010(平成22)年9月14日の理事会で大会の熊本招致を機関決定して活動を始めた。県民の皆さまは上通のアーケードやサンロード新市街に掲げられた『アジア初 熊本に試合orキャンプを誘致しよう』の「好きたい熊本協議会・ラグビー委員会」のボードを目にされたことがあると思うが、そこから約5年、ラグビー関係者の夢が現実のものとなった。WCは4年に一度の開催で本年の9~10月にイングランドで開催される。つまり、熊本での開催まで4年半余、様々な課題をクリアして大会の成功を皆で支えたいものだ。

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2019年には女子ハンドボール世界選手権大会の熊本開催もすでに決定しており、2020年の東京五輪・パラリンピックの直前に国際大会の開催は熊本のスポーツの持つ底力を内外に示すものだ。先日、県教育委員会の平田浩一体育保健課長との話の中で「井さん、他県のスポーツの関係者から、『熊本はJOC(日本オリンピック委員会)と特別近い印象を受けますが、どうしてですか』こんな質問を受けることがあります。それについては『2006年に熊本で開催した世界女性スポーツ会議が大きな要因だと思います』と答えています。」、とのことだった。そう言われて改めて当時を思い浮かべ、錚錚たる肥後の猛婦(これは以前からある熊本の賢婦人の方々への敬称)のメンバーに数人の男性陣が、刺身のツマみたいな存在で参加、世界74カ国から700人近いウーマンパワーの方々との会議の記憶を呼び起こした。そんな経緯がJOCと熊本の中に少しでも役立っているのであれば、熊本の女性方の熱意を誇らしく思い、ツマはツマなりに嬉しく思った。

7日、Jリーグ開幕。ロアッソ熊本の2015年のシーズンが始まった。それに先立ち3日壮行会が日航ホテル熊本で開かれた。小野剛監督が『ゴールを目指して最後まで走り続け、諦めないサッカーをやる』と力強く語り、AC熊本の池谷友良社長は『あらためて「5年でJ1」の目標を掲げ頑張る』旨の発言があったが、これにはいささか違和感を覚えた。~5年でJ1を掲げた旗印は一昨年に果せずに終わり、一年置いて改めて5年を目途にの発言は安易過ぎないか、ユース等の育成はもちろん大切だが一年一年が勝負の世界、そんな悠長な雰囲気は県民の熱い想いに即しているのか、体を張っている現場はともかく、スタッフも今季が勝負の姿勢で臨んで貰いたいもの、勝負の世界とはそんなものではないか、あえて苦言を呈しておきたい。

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(ロアッソ壮行会 小野剛監督あいさつ ⓒAC KUMAMOTO)

翌4日、10年連続で熊本で春季キャンプを行う、コンサドーレ札幌の監督及びスタッフとの懇親会を熊本県観光課、熊本国際観光コンベンション協会、県サッカー協会で開いた。例年、40名近くのスタッフ、選手の方々が3~4週間の滞在は関係者一同、本当に有難いと思っている。監督は旧ユーゴ(現クロアチア)出身のイヴィッツァ・バルバリッチ氏。ボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の石橋があるモスタルでもプレーしていたとのこと、私もかってこの橋を訪ねており話が盛り上がった。そして日本代表の監督にボスニア生まれのバヒド・ハリルホジッチ氏が決定した。ドブロ・ユートロ(おはよう)・ドバルダン(今日は)・ドブロ・ベッチェ(今晩は)辺りは覚えていると挨拶の機会があれば役立つかもしれない。

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(左:筆者、右:イヴィッツァ・バルバリッチ監督)

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