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第292回 回顧~オランダ

現在、欧州の主要各国には殆ど直行便でその国に到着するが、少し前までは英国のヒースローやドイツのフランクフルト、オランダのアムステルダムあたりからの乗り継ぎが多かった。そして日本~欧州は現在のロシアの上空を飛ぶ直線に近いルートと違って、アラスカのアンカレッジ経由の北周りコースと、香港、バンコク、テヘラン、ベイルート経由の南周りコース。給油が主な理由だが特に南コースは離発着、その都度の入国手続きや待ち時間等、結構大変だった。その点、北コースは一度だけの給油、何よりアラスカの窓外の雪景色と秀峰マッキンリーは素晴らしかった。また、大きな免税店が魅力的で1時間の待ち時間が足りない位だった。そんな中でKLMオランダ航空の明るいブルーで装ったジャンボ機は評判が高かった。

オランダ滞在で私は不思議に大きな節目の出来事が多かった。初めての海外遠征は1971(昭和46)年、ハンドボール女子の世界選手権。デンマーク、スウェーデン、ドイツ等をトレーニング・マッチで廻り、最後は会場のアムステルダムから遠くないパーペンダールのスポーツシュウレーに約2週間滞在した。12月初旬、日照時間が短く朝10時ごろに太陽が昇り、午後3時ごろには沈む、しかも霧深い季節なので日本の初冬の寒さはあっても澄んだ青空とは大違い。この大会後、イタリアのローマを訪れたが燦燦と降り注ぐ陽光を心地よく体で受けとめた記憶は鮮烈だった。但し、帰路は南周りの苦行路線だったが、私の海外遠征のデビューだった。二つ目は1973年、東欧での強化合宿を終えての帰途、アムステルダム・スキポール国際空港で乗り継いで帰国の予定が、悪天候でユーゴからの便が遅れて、乗り継ぎ便に間に合わなかった。JALの手配でその夜はアムステルダムのホテル・オークラに一泊したが、なんと搭乗予定の日航のジャンボ機が離陸後間もなくハイジャックされて、中東アラブ首長国連邦のドバイ空港を経て、最後はアフリカのリビアのベンガジで犯人グループによって爆破された。もちろん乗客・乗務員は全員降ろされ生命に危険はなかったが、まさにその便で帰国するはずだった。三度目は1997年に熊本で開催した、男子世界選手権がIHF(国際ハンドボール連盟)理事会で決定したのもオランダのデン・ハーグのホテル。それまでに1993年のスウェーデンの男子大会視察に始まり、中東のクエート、カタール、バーレーンでのアジアの票固め、スイス・ローザンヌやアメリカのサウスキャロライナのIHF理事会、アイスランドの大会視察等を経ての、大詰めの理事会での熊本決定。当時の田尻靖幹熊本市長が現地から、熊本の福島譲二県知事に『只今、決定しました』と国際電話で一報を入れたが、それまでの経緯を振り返り、その夜はシャンパンでの乾杯だった。

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オランダは英語圏の読み方ではNETHERLAND~低地国と言い、山が少なく海抜ゼロ以下の所が国土の25%にも及ぶ。北海に面し風が吹き抜けるので名物の風車の建物が多く目に入る。フラットな地面なので自転車が大変普及していて、観光客も手軽に借りて乗り捨ても便利。また首都のアムステルダム市内の移動は水路利用も多く人気がある。国立美術館ではレンブラントの大作「夜警」に圧倒されるし、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」や「牛乳を注ぐ女」も鑑賞した。彼の代表作の「真珠の耳飾りの少女」は、オランダの政治や行政の都市、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館に展示されており鑑賞した。その時は北欧遠征の帰途に立ち寄ってデン・ハーグの北海に面したホテルに泊まったが、前述した1997年の男子世界選手権の開催が決まった場所と同じホテルで、15年後に熊本の招致委員会のメンバーと再訪することなど知る由もなかった。

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(フェルメール「真珠の耳飾りの少女」)

国民の体位は周辺の国より頑丈で、長身の人が多く、少し尾籠(びろう~不作法・人前で失礼に当たる)だが、男子トイレの便器がやたらと高く、180㌢の私も伸びあがる感じの表現で察していただけるだろう。サッカーのこの国のFIFAランキングは6位、世界の列強の一角、現在ではアリユン・ロンベンやヴェスレイ・スナイデル辺りが活躍している。2002年のW杯で韓国を率いた、フース・ヒディングも同国人。何よりスポーツ界でのヒーローは1964(昭和39)年東京五輪の柔道無差別級で優勝したアントン・ヘーシング選手。柔道はまさに日本のお家芸、それも無差別の最重量は五輪のシンボリック的な種目だった。当時、日本人より日本人と評された。196㌢の巨体で「オランダの巨人」と呼ばれ、オランダはこの快挙に湧きあがり、彼の出身地のユトレヒトには彼の名前を冠した「ヘーシング通り」が今も現存する。

アムステルダムで見逃せないのが、「アンネ・フランクの家」、市の中心部のダム広場から徒歩で10分位の位置。アンネは1929年生まれだから、生きておれば80歳台。ユダヤ人の家庭に生まれ、ナチスのヒトラー政権のユダヤ人迫害を逃れて、13歳から15歳の多感な時期に隠れ家に一家で身を潜め、その間に記した日記が「アンネの日記」。16歳で捉われ収容所で亡くなるのだが、彼女の死後、世界的ベストセラーになったので、読まれた方も多いと思う。オランダを訪れる際は是非一度訪れて貰いたい場所だ。

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