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<title>会長ブログ</title>
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<description>一般社団法人 熊本県サッカー協会の公式ウェブサイト、2015年まで会長だった井 薫のブログのページです。</description>
<language>ja</language>
<managingEditor>一般社団法人 熊本県サッカー協会</managingEditor>
<copyright>2010 - 2023 Kumamoto Football Association.</copyright>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第300回　お世話になりました。</title>
<description><![CDATA[<p>6月7日の熊本県サッカー協会の定時総会で私は会長としての定年を迎え、新しい会長には田川憲生氏（現ホテル日航熊本代表取締役会長・熊本商工会議所会頭）をお迎えした。2007（平成19）年6月に熊本県サッカー協会の会長に就任から8年、私はハンドボールの女子の指導を皮切りに、1997年熊本での男子ハンドボール世界選手権大会の招致に関わり、その後、熊本県体育協会の副会長として、2順目の国体の全種目の強化を担当した。そして、サッカーと言う競技の新天地が始まった。サッカーはズブの素人の私だったが、協会の皆さんの熱い輪の中に飛び込む感じで、受け入れていただいた。ロアッソ熊本が2年目のシーズンを迎え、JFA（日本サッカー協会）アカデミー熊本宇城の創設段階だったが、紆余曲折を経て今春、7期生を迎え入れた。また今年から、なでしこチャレンジリーグに益城ルネサンス熊本が健闘中。関係者のご努力に敬意を表したい。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/300.JPG"><img alt="300.JPG" src="/blog/res/cache/2015/06/300-thumb-600x400-56744.jpg" width="600" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>お気づきだと思うが「Old Dreamerの戯言」のこのブログ、今回で300回を数えた。始まりは2008年2月2日、タイトルは「ベルギー代表チームの視察」だった。当時、県協会のメンバーで現在、JFAグラスルーツ推進部の福田哲郎氏と話している中で『井会長、いろいろな体験目線でブログをお書きになりませんか』と薦められた。私も県協会のメンバーの熱さを感じながらも、あまり、それ一本ではなく、ゆとりを持って取り組むことが大切と感じていた時で『それじゃ書いてみますか、ただ、サッカーいやスポーツばかりではなく、音楽や、映画、話題の書物、そして一寸気障（きざ～気取る）に熊本に吹く四季の風あたりを綴ってみたい』と、始めたもの。以来、7年余りで300回に達した。その間、サッカー以外の方にも読んでいただき、いろいろなご意見、感想もいただいたし、サッカーNOWも伝えられた。何よりサッカー関係者に"忙中閑あり"の必要性を感じて貰えたのであれば幸い。長い間、お付き合いいただき感謝したい。</p>
<p>今年、私は幾つかの役職を退かせていただいている。3月に13年間務めたテレビ熊本の番組審議委員。5月には2期4年間の高校の同窓会長。そして、今回のサッカー協会長。さらに、今年で4期8年の熊本市体育協会長も年度末で辞任を申し出ている。中には定年もあるが、自分で期限を設定しているものが多い。今年、77歳の喜寿、退き時だと思う次第。その中では幸い引責辞任はなかった。役職を退くということについて少し考え方を述べてみたい。組織では「人が変わり、新しい風が吹くことが大切」。よく聞く言葉に"余人を以って代え難し"つまり、貴方が適任で他に代わる人はいないという言葉。これを好んで口にする人は、ある面では自分もそう思い込む傾向が強い。考え違いしては困る、"沢山居るんですよ、貴方に代われる人は"。組織は人が長く関わると澱むもの、つまりマンネリ化。そこには進歩の芽は育たず、自己保身の悪しき澱みが拡がる。指導者の場合は、対象となる選手のほかに、後進指導者の育成の大きな役目もある。それから、現状があまり好ましく進んでない場合。思い切ってトップが代わるのも選択肢としてはある。つまり、自分が所属する環境に感謝して、大切に想うのなら居心地の良さにいつまでも身を委ねるのは如何なものだろうと思う訳。しかし、それは各々の考え方、人生観であれば余計な口出は野暮なことかも知れない。</p>
<p>去る日。若手の後輩と一杯飲んだ。T君『会長、永い間お疲れさまでした』。私『ありがとう、君にもいろいろお世話になった』。T『会長～』。私『一寸待ってくれ、その会長はもうやめて欲しい、先の県協会の会でも申し上げたが、これからは「井さん」つまり、さん付けで呼んで貰いたい』。T『分かりました、ところで退いたとこには顔出しが少ないように聞いていますが、それは井さんの美学ですか？』。私『美学？その言葉は私が一番嫌いな言葉、綴ってきた文にも一度も使ってないはずだが』。T『哲学ですか？』。私『哲学？そんな固いものじゃない、そんなに勉強もしてないよ』。T『それじゃ何ですか』。私『強いて言えば"こだわり"かな』。～確かに、オムロンにも、県体育協会にも、スペシャル・オリンピックスにも以後は顔出しは少ない。多分この後は高校の同窓会にも、サッカー協会にも必要最小限の顔出しに止めたいと思っている。こだわりと言うか癖かも知れない。</p>
<p>T『井さんは結構古めかしい部分がありますが、辞世の句でもあるんじゃないですか』。私『辞世？もう少し生きさせてよ、ただ心境的には引用したいものはある』。T『聞かせて下さい』。私『笑うなよ！"散りぬべき　時知りてこそ　世の中の　花も花なれ　人も人なれ"』。T『聞いたことがありますね』。私『そう、細川家ゆかりのガラシャ夫人の辞世の句～花も、人も散り時が大切、という句だが』。T『井さん、そりゃ無茶苦茶恰好つけすぎじゃないですか』。私『そうだな、そんな気もするな～戯れ（たわむれ）、戯れ、ほら、このブログのタイトルも"Old Dreamerの戯言"だろう。だが、一寸古典的過ぎたか、それじゃ趣向を変えて、今の心境にマッチした曲、先日、友人から教えてもらったものだが、'N Syncという若いグループの"Bye Bye Bye"テンポも軽やか。ただし、PVは陳腐、メロディーだけはお薦め』。</p>
<p>そして、6月8日、FIFA女子ワールドカップ1次リーグで、なでしこジャパン、スイスを破り好スタート、頑張れニッポン！　それでは皆さん長い間お世話になりました。　　"Bye Bye Bye"</p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/06/11000069/</link>
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<pubDate>Thu, 11 Jun 2015 16:27:51 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第299回　一杯・飲りますか</title>
<description><![CDATA[<p>先の294回でタバコをとりあげた。ただ、タバコは27歳でやめたので、余り体験的なことは書けなかった。それに比べると、酒に関しては今も現役であり一般論ではなく、自分に関してのあれこれを述べてみたい。タイトルの「一杯飲りますか」は正しい使い方ではないが、"やりますか"の当て字としては、これほどぴったりの表現はない。酒との出会いは、故郷の本家が造り酒屋だったこと。親父が酒好きで75歳まで殆ど毎日飲んでいて、環境に恵まれたと言えるだろう。戦争末期、阿蘇の小国の片田舎、実家の庭先の竹やぶにも防空壕（ぼうくうごう・空襲に備えた穴）があった。そこに禁制の「どぶろく」の甕があり（もちろん酒好きの親父が仕込んだもの）、夕方になると私が親父の言いつけで汲み取りにいく日課、そのうち芳香に誘われ一寸指先を濡らして舐めるとこれが美味い。終戦の昭和20年に小学校入学なので、就学前のワルガキの頃に覚えた酒の味だった。</p>
<p>ご多聞にもれずサッカー関係の人たちも酒が好きだ。もちろん、私が関係したハンドボールを始め、多くのスポーツ団体の皆さん、いやスポーツに限ることではない、世間一般の皆さんもご承知の通り。2007（平成19）年6月、県サッカー協会の総会で会長に就任した。その前年の夏、当時、県体育協会の副会長だった私は、山都町（旧蘇陽町）の「そよかぜパーク」での県下キッズフェスティバルの催しに、県協会の北岡長生専務理事に『一度ご覧になりませんか』と誘いを受けた。了解の返事をした私は阿蘇でのゴルフを終え、高森の冷酒「霊山」を携えて、フェスティバル初日の夜のバーベキューに参加した。サッカー関係者との初めての酒席だった。翌年8月、会長の立場で大分・中津での国体九州ブロック大会に出かけ、夜は県協会の皆さんと名物の鳥料理で飲んだ。同年の藤野健一先生や藤家澄夫氏と胸襟を開いて盃を交わせるようになったのもこの時以来だ。</p>
<p>国体に選手・監督として30年出場で日本体育協会表彰を受けたのは1990（平成2）年の福岡国体。それ以降も役員で参加していたし、ハンドボールの夏の全日本総合選手権は国体の前年のリハーサルも兼ねて、47都道府県くまなく、それも何度も巡り訪れ、各地の酒を頂いてきた。それとは別に県体協の冬季国体の団長として小樽、妙高、富士吉田、蔵王、安比高原、田沢湖畔、苫小牧等に参加。雪深い東北、北海道で暖をとる意味も含めて飲んできた。田沢湖の宿ではついに酒がなくなり、宿の主人の『今晩は「床下誉・ゆかしたほまれ」にしましょう』と、出されたのは本当に床下の「どぶろく」。それに囲炉裏の上方につるしてある「いぶりがっこ」、沢庵の燻製状のもの、これが「どぶろく」にぴったり。福岡の前年の北海道国体は江別市の市長さんのお宅に民泊。以前の国体の民泊は、土地の名物を何でも準備いただいたが、ある時食中毒が発生、それ以降はすべて国体の献立に添ったものしか準備をいただけなくなった。心遣いはともかく正直に言って味気なかった。それが、市長さんのお宅では市長特命で北海道の珍味、海の幸が盛りだくさん、至福の滞在だった。</p>
<p><figure><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/299-1.jpg"><img alt="299-1.jpg" src="/blog/res/cache/2015/06/299-1-thumb-600x427-56642.jpg" width="600" height="427" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（冬季国体県選手団）</figcaption></figure></p>
<p>ビールは5月9日のロアッソ・アウェーの際に札幌でも話題になったが、確かに北海道で飲むビールは美味い。外国で頭に浮かぶのはドイツのミュンヘン。もちろん、チェコ等の周辺域も同じだが、北海道と緯度が似通うのが答え。1970年代にヒットしたサッポロビールのCMソングに"ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー"と言うのがあった。ミルウォーキーは米国のシカゴに近い所、これも緯度は同じ。1976年、五輪の三大陸最終予選が米国と決まり、私は冗談で『初めて行く米国、出来ればミルウォーキー』とほざいていたら、何と予選地がまさにそのピンポイントでミルウォーキー。勢いに乗って米国、アフリカを連破してモントリオール五輪への出場権を得た。米国映画ではビールを飲む際は殆ど、瓶から直接飲むスタイル。しかし、これが美味くない。やはりグラスに注いで泡を立てて飲むのが最も美味しく、食べものに無頓着な国だとつくづく思う。今、日本食が世界的に評価されているが、春夏秋冬のそれぞれの季節に酒を味わう食文化は日本が一番すぐれていると思う。</p>
<p>人類の来し方に関わってきた酒、世界の飲酒事情で、西欧諸国の主だった都市での楽しみ方は、多くの皆さんが経験していると思うが、ソ連崩壊前の旧共産圏の東欧、ソ連のモスクワ、ハンガリーのブタペスト、チェコのプラハ、ポーランドのワルシャワ、ルーマニアのブカレスト。基本はワインとウォッカに地酒（果実酒）だが、趣は西欧とはかなり異なった。モスクワの赤の広場の近くの"スラビヤンスキー・バザール"等の有名なレストランでは豪華なショー付きで民族料理、音楽も必須。そこの主役は「流浪の民」と呼ばれすぐれた音楽センス、ダンスや占いなど独自の文化をもつジプシーの存在。現在はジプシーの呼称ではく、「ロマ人」と呼ぶが、この人たちの音楽は素晴らしい。</p>
<p><figure><a href="/blog/res/299-2.jpg"><img alt="299-2.jpg" src="/blog/res/cache/2015/06/299-2-thumb-600x428-56644.jpg" width="600" height="428" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（ジプシーに関する資料より）</figcaption></figure></p>
<p>東京では浜松町の「秋田屋」、銘酒「岩清水」と共に、焼き鳥、その他が素晴らしく、店内には殆ど座れなく、いつも店の外での立飲状態。博多の長浜通りの魚の美味い店、10年ほど前にはよく立ち寄った。当時、焼酎は自分で勝手に飲んで、勘定の際に自己申告。今も続いているのか大らかな店の雰囲気。那覇の安里の「うりずん」、古酒を「カラカラ～ロックの呼称」で飲る。三線（さんしん・蛇皮線）の響きに陶然の境地に至る。</p>
<p>こう書いて来ると私の半生はまるで酒浸りだが、70歳になった時に一つの決心をした。相変わらず外での会が多く、月ペースでは約15日、そこで半分の自宅では飲まないことにした。やはり体調にはてきめんに良い。何も越えられなかった父は晩年まで毎日飲んでいた。この面だけは越えられた嬉しさは格別の想いだ。</p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/06/05000068/</link>
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<pubDate>Fri, 05 Jun 2015 15:02:24 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第298回　揺れるスポーツ界</title>
<description><![CDATA[<p>FIFA（国際サッカー連盟）が大揺れだ。副会長2名を含む幹部ら7人が逮捕された。米司法省は20年以上に亘ってメディアや代理店から総額1億5千万㌦（日本円184億5千万円）の巨額の賄賂。他にも関係者14人を起訴のニュースが世界を駆け巡った。その関連でスイスの司法当局は18年、22年のワールドカップ（以下W杯）の開催国決定に関する不正容疑で刑事訴訟を起こした。FIFAはスイス・チューリッヒに本部を置き、この騒ぎの中で、今後の4年間を託す会長選を行い、同国出身のゼップ・ブラッター氏（79歳）の5選が決定した。しかし、この結果が今回の問題の解決にはほど遠いと、欧州や米国はW杯ボイコットの検討等で対決色が強まっている。一つには高齢会長が「4選」で退く公約をホゴにして再出馬したことが発端だ。今後に予断を許さない展開だ。サッカーの競技では先発メンバーが将来を担うキッズの手を携えて入場する「エスコート・キッズ」。また、会場にはFIFAのフェアプレーのフラッグが掲示され好評だが、その大元締めの今回の永年に亘る不祥事、即退場のレッドカードものだ。</p>
<p>ネットで検索すると、今回のFIFA疑惑に関して、2002年日韓W杯の際の決勝トーナメント1回戦のホスト国・韓国とイタリアの試合について疑惑があると、イタリアの新聞「コリエレ・デッロ・スポルト」社が報じた。この試合イタリアのFWフランチェスコ・トッティがシミュレーション（欺瞞行為）によって退場。延長戦でのイタリアのゴールが認められず敗退。この二つの判定は後のFIFAのDVD審査で「世紀の10大誤審」に加えられた。同試合の主審を務めたバイロン・モレノ氏は大会後、理由も明らかにされないままにFIFAの国際審判のリストから除外された。また今回のFIFA会長選については、元副会長の韓国の鄭夢準氏がブラッター会長に『即刻辞任』を求めたが、多くの読者のコメントは『お前に言われたくない』。私も3回前のこのブログでふれたが、2002年の日韓W杯は鄭氏（当時のFIFA副会長）が日本の単独開催に、横ヤリで韓国との共催になったもので、いろいろな裏工作がなされた指摘は記憶に新しい。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/298.jpg"><img alt="298.jpg" src="/blog/res/cache/2015/06/298-thumb-600x321-56562.jpg" width="600" height="321" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>今回の問題の背景は、W杯開催地決定に絡むもので、宿痾（しゅくあ～永いあいだ治らない病気）と言える。加熱する招致合戦の所産だが、W杯と五輪の会場決定について、この際、シンプルな二つの提案をしてみたい。一つはW杯・五輪開催希望国に対して開催に必要な条件を提示、それを満たした希望国を一同に集めて、明朗抽選で決めたら少なくとも誘致に伴う不必要な経費や不祥事は解消されるだろう。二つ目は逮捕者を出した国は少なくとも次のW杯・五輪への出場権をはく奪してはどうだろう。そんな関係者を送り込んだ国へのペナルティーとすれば、今後はかなりの人物がFIFAやIOC（国際オリンピック委員会）に集まることになる。これを五選を果たしたブラッター会長が自身の口で語れば、局面も変わってくるのではないか。</p>
<p>さて、五輪。こちらも招致活動が過熱しすぎだと思う。そして2020年に向けた日本のプレゼンテーションが2013年9月にブエノスアイレスで行われIOCに受けとめられた背景の一つには、2011年の東北大震災から復興に立ち上がる、日本の姿が認められ、既設設備を有効活用して、コンパクトでエコという現代のテーマも織り込んだものが評価されたものだ。ところが最近の報道はその逆を行くような展開ばかり。まず、新国立競技場のデザインにイラク出身で英国在住の女性建築家ザハ・ハディド氏に依頼した事。外国人で悪いのではなく、はっきり言って斬新過ぎて神宮の森に適しない。屋根つきは当初の計画から説明されていたが、スポーツの会場にはふさわしくない華美さ。第一、日本にも優秀な建築デザイン家は少なくないはず、何故、日本人を選ばないのかと思う。そして、5月18日に下村博文文科大臣と舛添要一東京都知事の会談がテレビで放映されたが、その内容はお粗末なもので下村大臣の『屋根を付けると工期が間に合わない。見積もりも千六百億円より相当アップされる』との話。どうやら、東京五輪の前年の2019年に日本で開催される、ラグビーW杯に屋根付きの五輪会場の建築では間に合わないことが文科省の説明の背景のようだ。因みに日本ラグビーの協会長は森喜朗元総理。これでは主客転倒と言われても仕方がない。</p>
<p>そんな例は他にもある。文芸春秋の2014年10月号に、"東京五輪ゴルフ場決定の闇"の見出しで、上杉隆の文を紹介する『五輪招致の際にJOCに提出したゴルフ競技会場は江東区若洲の「若洲ゴルフリンクス」だった。選手村予定地から4㌔の距離。それがいつの間にか難易度や歴史的コースの名のもとに50㌔の距離の「霞ヶ関CC」に変更された。JGA（日本ゴルフ協会）の関係者の多くが、霞ヶ関CCのメンバーであり、本部長の竹田恒正氏はJGAの副会長で、JOC（日本オリンピック委員会）委員長の竹田恒和氏の実兄』とか。</p>
<p>世界のスポーツの祭典のまぶしい表舞台の陰で蠢く、利権や関係する自競技への利益誘導。まさに漆黒（しっこく・黒々とした）の闇にふさわしい連中の顔ぶれだ。</p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/06/01000067/</link>
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<pubDate>Mon, 01 Jun 2015 14:32:45 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第297回　回顧～ウイーン</title>
<description><![CDATA[<p>オーストリアの首都・ウイーンはドイツ語で（Wien・ヴィーン）、英語では（Vienna・ヴィエナ）と言い、欧州では日本人の"ウイーン"と言う発音ではあまり通じない場面が多い。オーストリアを考える時、ハプスブルグ家をまず理解する必要がある。講談社現代新書の江村洋著「ハプスブルグ家」を紹介すると。13世紀から今世紀初頭までの約700年間に亘ってヨーロッパの文化の進展、政局にも絶えず関わり続けてきた。その影響範囲はポルトガルからポーランド、ドイツからイタリア、さらにバルカン南部までとヨーロッパ全域に及んだ。このハプスブルグ家の栄華に触れるためには、シェーンブルン宮殿とベルヴェデーレ宮殿の二つを訪ねることだが、いずれもウイーン市内から遠くない近郊にあるので、半日もあれば概略は理解できる。</p>
<p>欧州は大まかに言って、東欧、西欧、北欧、南欧の4つエリアで構成されているが、それらの行き交う要所としての位置関係と前述の強大な力を持つハプスブルグ家の存在で、その伝統に支えられたウイーンは他の国の首都や町々とは雰囲気はかなり異なる。重厚でありシックで特に中心部のリンク（輪になっている）と呼ばれ路面電車で円形に囲まれた地域が中心街。街を歩くお年寄りの多くはダークグリーンの服装でコートや帽子には鳥の羽根の飾りなど、オールドファッションがシックで目を奪われる。食べものもワインも美味く数日時間をかけて滞在したい都市。</p>
<p>リンクの中心部にそびえたつセント・シュテファン大聖堂。塔の高さは137㍍、ハプスブルグ家の歴代君主の墓所でもあり、ゴシック建築のこの寺院はウイーンのシンボルと言われ観光客も必ずと言っていいほど立ち寄り、荘厳な大聖堂の中で静かに自分と向き合っている光景をよく目にする。欧州の教会でよく目にするカタコンベ（地下墓地）には、かつて欧州で大流行したペストで亡くなった人たちも葬られている。ペストは人類の歴史の中で最も致死率が高く恐れられた伝染病。1347年から1353年の5年間に大流行した際には欧州全体で2～3千万の人が死亡した。リンクの目抜き通りにその根絶を祈念した大きな「ペストの塔」が建立され異彩を放っており、是非目にしてペストの猛威、終息に至る過程を知って欲しい。カミユの「ペスト」、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にも表わされている。その根治に北里柴三郎（阿蘇郡小国町）が大きく貢献していることは誇らしい。</p>
<p><figure><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/297-1.jpg"><img alt="297-1.jpg" src="/blog/res/cache/2015/05/297-1-thumb-600x423-56490.jpg" width="600" height="423" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（左：シュテファン大聖堂、右：ペストの塔）</figcaption></figure></p>
<p>そして、ウイーンと言えば音楽の都。ベートーベン、シューベルト、ヨハンシュトラウス、ブラームス、モーツァルト、列記にいとまがない。市内を少し歩くとそれぞれの音楽家たちの所縁の場所が点在、気軽にその作品等の雰囲気にふれることが出来る。オペラ座は世界屈指の歌劇場で、国際的に活躍するトップアーティストが出演、演目が毎日変わる豪華さ。他にも、ウイーン・フィルハーモニーやウイーン少年合唱団も有名。5月25日にはウイーンでのユーロビジョンソングコンテストの模様がNHKで報じられた。1956（昭和31年）年に始まった各国を代表するアーティストが参加するコンテスト。今年はスウェーデンのモンス・セルメルローが優勝、会場は大変な盛り上がりだったようだ。</p>
<p>このように、近隣諸国、特に東欧各国との玄関口の感じのオーストリアだから、私も何度もこの国を訪れ、そしてここからの経由で東欧の国々を訪れたし、帰途もこの国に戻り欧州の各国に向かった、航空路、列車、バスでの移動も少なくなかった。女子のハンドボールではプロコップ監督が率いるヒポ銀行チームが強く、日本代表チーム、立石電機（現オムロン）とも何度も試合をした。やはりこの国の人はお洒落で、ゲームが終わり会食となると、プロコップ氏は洒落たスーツで見事なホスト役を演じた。私とも意気投合して何度か彼の自宅に呼ばれたが、自宅の雰囲気も優雅で食器等に至るまで洗練されたものだった。一度、京都で私はロシアとオーストリアの親善ゲームのマッチバイザーを務めたが、ロシアのラフプレーでプロコップ監督が激昂、大変な場面になった。ロシアの監督も旧知のトルーチン氏、激しく詰め寄り抗議する監督、気まずい雰囲気の中マッチバイザーとして二人の中に入ると、プロコップ監督は、大声で抗議しながら私の脇腹を突いてウインク。ほどなく、彼が収まりことなきを得たが、当時、世界一のロシアに対して日頃の鬱積したものがあった彼一流のパフォーマンスだったのだろう。</p>
<p>場所は異なるが、オムロンチームで中国・桂林を訪れた際に漓江下りを楽しんだ。奇山の中を縫うように流れる漓江、その船に20名位のグループがいて、こちらの若い女性のグループを『貴方達は何のグループですか』の質問。私が『日本の女子のハンドボールチームです』と答えますと。『私たちはオーストリアからの観光客ですが、私の国にもヒポ・バンクと言う強いチームがあります』と、私が『監督はプロコップ氏ですね』と言いますと、『彼をご存知ですかブンダバー（素晴らしい）』と。思いがけない所で旧友に出会えた旅でもあった。</p>
<p><figure><a href="/blog/res/297-2.jpg"><img alt="297-2.jpg" src="/blog/res/cache/2015/05/297-2-thumb-600x404-56492.jpg" width="600" height="404" class="mt-image-none" style="" /></a><br><figcaption>（漓江下り）</figcaption></figure></p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/05/27000066/</link>
<guid>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/05/27000066/</guid>
<pubDate>Wed, 27 May 2015 09:45:16 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第296回　5月を歩く～2015</title>
<description><![CDATA[<p>世界各地を歩いてみて日本ほど季節の移り変わりの鮮やかな国は他にない。常夏の国も短期間の滞在には心地よいものだが、生活の基盤となるとTシャツやアロハの生涯は単調だろうし、雪や深い霧に年間の半分余りを閉ざされる地域では、健康上の大きなハンディーも抱える。その点、四季があるということは生活様式の句読点みたいなもので、日本人はその時々に合わせて生活しエンジョイ出来る幸せに恵まれている。その中でも極め付きの季節がやはりこの陽春の気候。幾つかの国民の祝日が重なる（もちろん意図的な心憎い配慮）ゴールデン・ウイーク。今年もこの季節を待ちかねて、リュックを背負って足をのばした。</p>
<p>某日～山鹿市菊鹿の奥の「相良とびかずら」周辺。原産は中国・揚子江流域のようだが、自生は国内で此処だけの希少種と言われてきたが、近年、長崎・佐世保の沖の小さな島でも発見されたようだ。いずれにしてもとても珍しいもの。駐車場には山口や福岡・佐賀あたりのナンバーもあり、人気のスポットの賑わいを呈していた。数年まえに何度か参加した、熊本ワインのナイトハーベストと言う銘柄のぶどう摘みのボランティアも菊鹿のこの近く、初秋の深夜の摘み取りは周りの山々が黒々と見えたが、今回は輝くような春の日差し、その山々は新緑に覆われていた。ただ、緑一色かというとそうでもなく、緑に混じって黄色よりやや薄めの白っぽいクスの若葉、また、竹林は苟が出た後はしばらく枯れ葉になり、この短い期間を昔の人は「竹の秋」と言い、春の季語に使われるのは面白い。また、「5月を歩く」では何度か使ってきたが、これらの春の山の幾つかの色が織りなす、賑わいみたいなものを称して「山笑う」の表現は、風情があり楽しめる。</p>
<p><figure><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/296-1.jpg"><img alt="296-1.jpg" src="/blog/res/cache/2015/05/296-1-thumb-300x200-56357.jpg" width="300" height="200" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（アイラトビカズラ）</figcaption></figure></p>
<p><br />
某日～恒例の「有田の陶器市」にも出かけた。特別な買い物がある訳ではなく、何となく「顔を出さないと頭がうずく」の感じ。一方「帳面消し」の部分もあるが、若い人にはこれらの表現は通じているのか不確かな想い。人ごみで左右に店が立ち並ぶ目抜き通りも、もちろん魅力たっぷりだが、私はこの数年は一本裏手の「トンバイ塀」通が気に入っている。トンバイ塀とは解体した登り窯のレンガを利用して造られた塀で、独特の雰囲気を醸す裏通り。もちろん、深川製磁や香蘭社の著名な老舗も訪れるが、ほとんどは目の保養。むしろ、名もない店先に並べられた陶器に手ごろで、面白い品に出会えることが多い。その後、少し足を延ばして唐津の名護屋城跡へ、秀吉の晩年の愚行とも言うべき朝鮮出兵のための城、規模的には大阪城につぐ物だが、僅か5カ月で築城の急拵えの城で、築城の名人の加藤清正も加わっているが、大きな石垣が壊れた箇所が多く。"何と壮大なムダ"であったか思い知ることが出来る。</p>
<p><figure><a href="/blog/res/296-2.JPG"><img alt="296-2.JPG" src="/blog/res/cache/2015/05/296-2-thumb-600x450-56353.jpg" width="600" height="450" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（有田陶器市にて）</figcaption></figure></p>
<p>9日、札幌ドームにロアッソ熊本対コンサドーレ札幌（以下札幌）のゲーム観戦に出かけた。3月10日のブログ～288号で触れたが、札幌はこの10年来、シーズン前の春季キャンプを熊本市で行っている。この件での熊本県サッカー協会の担当は事業委員長の満田和浩常務理事。受け入れから、会場手配、滞在期間中の練習マッチ等の設定。それは、札幌チームに限ることではなく、中国や韓国、そして国内の他のJチームや女子チームと分野を広くスケジュール調整等に尽力してもらっている。3月4日に県・市の窓口と協会で札幌の監督・スタッフとの会食を行い、クロアチアからのイヴィッツア・バルバリッチ監督とお会いして、親交を深めたことは前述した。今回、県の方々に「くまモン」が加わり、満田氏と私でロアッソ熊本のアウェー戦で札幌ドームに伺った。札幌ドームは移動方式でホヴァリングシステムと言い、日本で唯一の屋内天然芝サッカースタジアムであると共に、人工芝の野球スタジアムが併設されたもので、サッカーはコンサドーレ札幌、プロ野球では日本ハムの本拠地。最高収容人員は5万3千。かつてはダルビッシュ・有投手、そして現在は大谷翔平選手が二刀流として投打に活躍。また、昨年の9月5日にはサッカーの日本代表とウルグアイ戦が行われ4万人近い観客が観戦した。</p>
<p>観戦した熊本対札幌戦、私もロアッソを応援して10年になるが、このゲームのように躍動感あふれるロアッソを観たのは殆ど初めての体験。開始早々にFW斉藤和樹がスピードに乗った動きで相手DFを抜き去り先制ゴール。前半中盤には右サイドからの低めのクロスに合わせ、まさに水泳の飛び込みのダイブする感じのヘディングで2点目。1万人を超す札幌のサポーターが静まりかえる。後半10分にFW巻誠一郎がコーナーからゴール前への低いパスに合わせて押し込みゴールでなんと3対0の展開。それらのゴールシーンとは別にメンバー全員が良く走り、執拗に相手をマークして奪い返してマイボールの場面が多かった。ただ、すんなりいかないのがサッカー、後半34分に園田拓也がレッドを宣され一人少なくなった前後からは、札幌の猛攻が始まり2点をとられ3対2。そしてアディショナルタイムが何と6分。それを何とか防ぎきって今季2勝目を手にした。</p>
<p>夜に3月の際のお返しの意味もあり、札幌のバルバリッチ監督と数名のスタッフの方々と、ビール園で会食をした。私は『ゲームの終わったあと、それもホームでの敗戦の直後に、こんな機会に監督自ら出席されて、心苦しいものがある』と申し上げると。監督は『もちろん結果は残念だったが、私たちの交友はもっと大切なものだ』と柔和な表情で語っていただいた。そう言えばロアッソの小野剛監督も、苦しいシーズンの中でも、いつも変わらぬ穏やかな雰囲気で、ゲーム後のコメントも選手をねぎらうものが多く。二人の監督の指導者としての人格の素晴らしさを改めて実感した。<br />
<figure><a href="/blog/res/296-3.JPG"><img alt="296-3.JPG" src="/blog/res/cache/2015/05/296-3-thumb-600x663-56355.jpg" width="600" height="663" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（サッポロビール園にて　左から3番目：筆者、左から4番目：バルバリッチ監督）</figcaption></figure></p>]]></description>
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<pubDate>Fri, 15 May 2015 16:16:20 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第295回　FIFA理事就任の田嶋幸三氏を祝う</title>
<description><![CDATA[<p>4月30日、バーレーンのマナマで行われたAFC（アジアサッカー連盟）の総会で、JFA（日本サッカー協会）の田嶋幸三副会長が、FIFA（国際サッカー連盟）の理事にトップ当選の嬉しいニュースが報じられた。5月1日のスポーツニッポン紙では～JFAとしてのFIFA理事の就任は、小倉純二名誉会長についで通算4人目。田嶋氏は2011年に立候補したが落選。その後AFCの理事となり、とかく不透明な運営が多かった組織で浄化を図る評価委員長に着任、クリーン化に貢献。また、ロビー活動としてはAFCに加盟する46カ国の中でシリア、パレスチナ、イエメン、アフガニスタンを除く42カ国に足を運んだとあり、北朝鮮、イラクなどの政情不安な国には外務省の支援を受けるなど、2度目の挑戦に万全を期してのトップ当選は見事だった。</p>
<p>その辺りの経緯について、JFAの田嶋氏と電通執行役員の岩上和道氏の対談から抜粋すると～田嶋『JFAで専務理事・副会長をやってサッカー界の仕組みがすごく分かりました。中略～その後、小倉純二会長（現・名誉会長）に自分の後継者としてFIFA理事を目指せと言われました。小倉さんは東アジア連盟の会長、AFCの理事、FIFAの理事を兼ねていましたが、僕はAFCのインストラクターなどの経験はあるものの、AFCの理事会組織のことはよく分かりませんでした。FIFA理事選に出ろと言われて2011年に出馬し、アジア46カ国のうちの19票をとりました。3位だったので落選ですが、悔しさよりも訳の分からないうちに終わってしまった選挙だったという印象です。その後、AFCの理事になり、その2カ月後に東アジアサッカー連盟の副会長に就任しました。理事会で拙いながらも英語で意見が言えるようになり、徐々に周りから信頼を得られるようになってきました。そういう意味では僕の良い所、悪い所も、皆んなが分かってくれて逆に支持してくれそうな方たちも分かってきたと言う手応えをつかみました。最初の時に選挙運動などをしないでよく19票もとれたと思いますが、逆に言うと日本をサポートする基礎票だったのかと思いますし、そこにあと10票以上積まなければ当選できないことも分かり、次のFIFA理事選はしっかりやろうと思いました』と語っている。</p>
<p>FIFA理事会とは～FIFAの最高決定機関で、年間2度以上は開催される。会長、副会長8人、理事15人の24人で構成。理事は各大陸連盟ごとに枠が割り当てられている。会議には事務局長、特別枠の女子理事も出席して大会開催地や予算分配などを決定。各大陸の重鎮、キーマンが集まるため、世界のサッカー界の動向を知るための、貴重な情報交換の場になっている。</p>
<p>JFAは2005年に"2005年宣言"を行った。○サッカーファミリーの拡大○代表チームの強化などをおり込んで☆500万人のファミリー達成☆2015年に世界のトップ10になる☆2050年までにFIFAワールドカップ（以下W杯）の日本単独での開催の宣言だった。しかし、2014年のブラジルでのW杯でまさかの1次予選敗退。本年1月のアジア杯での早期敗退、さらに各カテゴリーの代表も轡（くつわ～揃って一緒に）を並べて失速。また代表監督の選任の拙さもそれらの低迷に輪をかけた。そんな中にあって唯ひとつ2011年ドイツでの女子W杯の「なでしこジャパン」の優勝は、期待以上の成果に日本中が湧きたった。ふりかえると"2005年宣言"は実現に及ばなかった。しかし、この度の田嶋氏のFIFA理事就任と、確かな手腕が期待されるハリルホジッチ監督の就任は、日本サッカー界にとってももう一度世界の頂点への道を歩き始めるきっかけとしては十分価値あるもので、この際、JFAは改めて"2015年宣言"をぶちあげても良いのではないかと思う。まずは、本年6月に始まるカナダでの女子W杯、そして同じく6月に始まる2018年のロシアでの男子W杯の出場権をつかむためのアジア予選突破。その先には2020年の東京五輪・パラリンピックを各競技団体と力を合わせて成功させる事であろうし、もう少し先には2023年の女子W杯の開催、そして2050年（実際はもっと短じかな近未来）までの男子W杯開催を、と『強く思うことで夢を実現してもらいたい』。</p>
<p>今回の結果で対照的だったのは、大韓サッカー協会の鄭夢準・名誉会長（現職は国会議）の従弟の大韓協会の会長の鄭夢奎氏が理事選に立候補したが、田嶋氏の3分の1の得票で落選したこと。鄭夢準氏は1993年から2009年の16年間は同協会会長。現代財閥の鄭周永氏の六男、豊富な資金力を駆使する形で1994年から2011年までの17年間はFIFA副会長を務め、2002年のFIFA・W杯、日韓大会を成功させたと評されるが、実際は日本の単独開催がほぼ決まっていたのだが、日本より5年も遅く招致委員会を立ち上げ、短い間にその立場を利用して日韓共催に強引に持ち込んだもの。その成功による韓国国民の支持を政治的な資産として、同年の12月の大統領選挙に立候補をしたが、自分への支持が対立候補の盧武鉉に及ばない事を知り、投票日前日に辞退した。その盧武鉉大統領はその後、献金問題を追及され自ら命を断った。なにやらお隣りの国、政界財界も魅魑魍魎（ちみもうりょう～山や川の化物）の世界と書けば叱られるか。</p>
<p>田嶋氏のお人柄と、このところ国際社会に定着しつつある、日本という国のクリーンなイメージを背景に、FIFAの組織の健全化にも期待したい。従来にも増して多忙になるであろう、健康に十分ご留意の上でのご活躍を祈念したい。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/295.jpg"><img alt="295.jpg" src="/blog/res/cache/2015/05/295-thumb-600x396-56240.jpg" width="600" height="396" class="mt-image-none" style="" /></a></p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/05/08000064/</link>
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<pubDate>Fri, 08 May 2015 21:52:17 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第294回　タバコについて</title>
<description><![CDATA[<p>まずは、タバコの魅力について、愛煙家通信～CONFORTから幾つか拾ってみよう。コロンブスがタバコを1492年以降にヨーロッパへ持ち帰り、吸っても大丈夫なのかというわけで、ある王様が奴隷を10人ぐらい集めて吸わせてみた。そうしたら、一人が恍惚の表情を浮かべているのを見て、王様が吸ってみたら、すごくうまい。「これは俺が吸う」と言うわけで奴隷はもう吸えなくなった。</p>
<p>英国首相のウインストン・チャーチルは「生涯で30万本の葉巻を炭にした男」と言われた愛煙家。年輩の方には葉巻をくわえた彼の写真の記憶があるだろうし、かつてのイギリス領の国々で発行された切手にも数多く、彼と葉巻のものがある。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/294-1.jpg"><img alt="294-1.jpg" src="/blog/res/cache/2015/04/294-1-thumb-600x399-56095.jpg" width="600" height="399" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>評論家・金美齢さんのエッセーより～私は煙草を吸いません。だからこそ言おうと思うんです。愛煙家たちに煙草賛成と言わせないいまの風潮はどう考えてもおかしいですよ。喫煙は、健康に悪いといえば、確かに悪いでしょう。客観的に考えたって、吸わないほうがいい。おカネだって倹約できるしね。もし喫煙で身体を悪くしたら、それは個人の責任の問題。勝手に壊れればいいんです。喫煙っていうのは、長い歴史と文化を伴った人間の嗜好行動ではないですか。私がたばこ問題で言いたいのは、喫煙はマナーさえ守れば、完全に個人の嗜好の問題だと認識しろと言うことです。それがある日突然、受動喫煙がどうだ、健康の増進がどうだって騒ぎだして、嫌煙派が正義ですって嵩にかかってやっている、これはおかしいと思いますよ。</p>
<p>ジャーナリストの矢崎泰久氏～映画もいまはタバコを吸うシーンが極端に少ないですよね、だけど、もしタバコがなかったら、たとえば「カサブランカ」と言う映画は成立しなかったと思うんです。ハンフリー・ボガードがタバコをくわえてね、紫煙をくゆらせながらイングリット・バーグマンと別れるあのラストシーンなんて、言ってみればタバコが主役ですよ。宮崎駿さんもヘビースモーカーだから「風立ちぬ」でも、タバコのシーンをいっぱい描いていましたね。映画監督の市川崑さんがいつもタバコをくわえていましたが、彼は前歯が一本欠けていたから、ちょうどタバコが収まる。だからくわえやすいし、そこに次のタバコを差しておけば、吸いたくなったら火をつけて吸う、おもしろかったですよ。等々、枚挙にいとまがない。</p>
<p>さて、最近は本当にタバコを吸う人が少なくなった。県のサッカー協会の事務局のスタッフはもとより、会議等で集まる人たちも、皆無ではないだろうがタバコを吸う姿を見かけない。これはスポーツ界全体に言えることで素晴らしい風潮（時代の移り変わりによって生ずる世の中の傾向）だと思う。やはり、タバコのもたらす健康的不安に指導者たちは率先して、身をもって取り組んでいる姿勢の表れだろう。その点で不思議なのは行政のトップに近い人たちに意外と喫煙者が多い。ただ、会議場はもとより、国際会議等の場所でも灰皿の準備等はなく、休憩時間に愛煙家は場所を選んで紫煙をくゆらせている。都会の駅の一画や街なかの喫煙コーナーでも同様だ。こんな情景を詠んだ句に"煙草を吸う人の群れがいて、迫害を受けし異教徒のごとく寄り添う"けだし名句と思った。</p>
<p>そう言うが、「君はどうなの」と質されそうなので、私の煙草歴は以前の文にも書いたが『昭和28年6月26日の熊本の大水害。中学3年生の時だった。大洪水の翌日から授業などは出来るはずもなく、そのまま夏休みに入った。7月半ばに阿蘇の小国町（実家のある故郷）行きの災害後の試運転のバスに乗り込み、通常の倍の6時間余りを要して帰り着いた。川に面した我が家も水に浸かっていたし、周辺も同様だった。浸水した地区に米軍の慰問品が届けられ、家の倉庫に積んであったダンボールを開いてみると、肉や豆の缶詰に混じってタバコの箱が入っていた。60個余りのタバコを自分の部屋に持ち帰って開けてみると、兵隊用の「ラッキーストライク」と「キャメル」だった。私はその日から喫煙を始めた。当然、夏休みだけでは吸いきれなく、9月の2学期に学校に持っていった。教室の廊下を挟んで熊大教育学部のオルガン教室があったが、そこに同級生を誘いこんで「おい、これ」と差し出すと「何やそりゃ」「タバコたい、アメリカんね」と言う具合。みんな好奇心一杯の顔。ゴホン、ゴホンとむせながら吸った。以来病みつきになり、「今もタバコを手放せない」とぼやく仲間もいる。私はその後も吸って高校時代の素行の悪さの一つに喫煙があった。大学を出て大洋デパートの女子ハンドの監督になり、4年後に3人の日本代表選手が育ちチームから送り出した。この時の監督としての喜びは大きく、私は「何か思い出に残るように」と、中学時代からの煙草を手放すことにした。私が26歳の時だった、以来一本の煙草も口にしていない。</p>
<p>だが、煙草は嫌いではない。最近、キューバがアメリカと国交回復した。80歳くらいになったらキューバの首都のヘミングウェーが愛した、愛煙家の巣窟と言われるホテル・コンデ・デ・ヴィジャヌエバ辺りで葉巻をくゆらす夢もある、そんな先のことを？と言われそうだが、なに、3年余り先なのです。</p>
<p><figure><a href="/blog/res/294-2.jpg"><img alt="294-2.jpg" src="/blog/res/cache/2015/04/294-2-thumb-600x367-56093.jpg" width="600" height="367" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（筆者が持っていたソ連時代のタバコのセット）</figcaption></figure></p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/04/30000063/</link>
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<pubDate>Thu, 30 Apr 2015 09:55:58 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第293回　スポーツと障害</title>
<description><![CDATA[<p>4月15日、MLB（米大リーグ・プロ野球）の全チームの監督・選手全員が42番の揃いの背番号でプレーをした。お気づきの方も結構おられたと思う。これは黒人初のプレイヤーとして1947（昭和22）年にデビューして、その後、大活躍をして米国の野球ファンに愛された、ジャッキー・ロビンソン選手の偉業を称える小粋なイベントだった。ヤンキースの田中将大投手もマーリンズのイチロー外野手、ジャイアンツの青木宣親外野手も42番でプレーした。</p>
<p>それとは別に、日本の誇る投手の田中将大、ダルビッシュ・有、藤川球児、少し前では松坂大輔あたりが、軒並み肩や肘を痛め、手術やそれに近い処置で長期間現場を離脱している。一般に大リーグのボールは滑りやすいと言われる、日本人の手は欧米人に比べると小さく、ボールをしっかり持とうとすると肘にストレスが加わり、損傷を受けやすいそうだ。肘内側副靭帯の部分断裂あたりが主な病名だが、手術の道を選べば復帰には1年以上を要する。そんな中で光輝くのは1995年にドジャースに入団した野茂英雄投手、その年に新人王、最多奪三振に輝き、メジャー通算2度のノーヒット・ノーランを達成するなど、まさに先駆者としての偉大な選手。先に松井秀喜選手が国民栄誉賞を受けたが、これは本当は野茂選手が相応しく、野手ではイチロー選手もまだ早いと受賞を辞退、これは妥当な判断と評価したい。</p>
<p>話が横道にそれたが、米国では肩は消耗品と言われ、当然、投球回数や投球後のケアにも配慮がある。その観点から日本の投手は投げ込み過ぎ。最近では甲子園の高校野球でも休日を設けたり、延長10回を終えたら双方無死1・2塁から始める～タイブレーク制が検討されている。この導入にあたっては"もう名勝負は見られない"等の無責任な声があるが、生身の体を酷使させて、選手寿命が短くなることには無関心の輩の声は無視でよい。朝日新聞の3月17日～19日に"子どもとスポーツ・けがをなくそう"が特集された。紹介しよう～「成長期に起こりやすいスポーツのけがと言えば、「野球ひじ」が知られて久しい。投球動作は、ひじに屈伸以外の引っ張る力などが加わりやすい。野球ひじはそれを繰り返す中で、まだ柔らかい子どもの骨に負担がかかって起こる。そして中学・高校で投げ過ぎの結果、多くの有望な人たちが怪我で悩むことになる。」こんな記事を特集する朝日新聞も夏の甲子園の主催者で、県の予選からすでに煽っているのだから、何のことはない。</p>
<p>ただ、そんな中で日本のプロ野球界に超人もいた。金田正一（400勝）、米田哲也（350勝）、小山正明（220勝）、3人合わせると1070勝と言うのだから恐れ入る。神様・仏様・稲尾様と言われた稲尾和久投手は、年間42勝の大記録保持者だが、やはり無理が重なったのか短命だった。これらの方々は数少ない頑健派だが氷山の一角、あたら埋もれた選手たちの数は量り知れない。</p>
<p>サッカーも成長期に膝の故障は少なくない。オスグッド・シュラッター（人名）病や、中・高生あたりに多いのが、「離断性骨軟骨炎」、強いキックや急な方向転換を繰り返す負荷で関節の表面から軟骨のかけらがはがれ落ちてしまう。「野球ひじ」と同様で初期では自覚症状はなく、中期になって痛み出す。いずれも初発の段階から掌握して確かな治療をすれば90％は回復可能であり、本人の自己申告もさることながらコーチや保護者が早期発見で見抜いてあげることが肝心。日頃からの健康チェックとお互いの信頼関係に加えて、練習項目の工夫がそれらの予防になる知識を、指導者は身につけて欲しい。マンネリ化した練習には子どものモチベーションも低く、素材は余り変わりはなくても、見た目や味付けで料理が変わる様に、指導者は絶えずフレッシュな気持ちで取り組める練習メニューを心がけてもらいたいものだ。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/293.JPG"><img alt="293.JPG" src="/blog/res/cache/2015/04/293-thumb-600x400-54130.jpg" width="600" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>心の病も発生した。埼玉県の本庄第一高校サッカー部が、親善試合で訪問した韓国で集団万引き。その後の学校の対応も判然としない。万引きを行ったのが全員3年生なので、「2年生以下は関係ない」のコメントもあるようだが、ことは国辱的不祥事だ、迅速に納得のいく方向性を求めたいものだ。近燐の国との親善ゲームあたりでの交流がますます増える傾向にある昨今、最低のマナーは身につけてもらいたい。この際だからもう一つ、かつての日本代表の「前園真聖」選手がテレビのバラエティー番組ではじけているが、ちょっと首を傾げざるを得ない言動が多いし、申し訳ないがクイズ番組での基礎学力のなさの露呈などは恥ずかしい。放置しておいて良いものか一考を要することではないか。局側にあれをキャラと捉えておられるのなら、それは可愛そうなこと。</p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/04/22000062/</link>
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<pubDate>Wed, 22 Apr 2015 17:04:12 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第292回　回顧～オランダ</title>
<description><![CDATA[<p>現在、欧州の主要各国には殆ど直行便でその国に到着するが、少し前までは英国のヒースローやドイツのフランクフルト、オランダのアムステルダムあたりからの乗り継ぎが多かった。そして日本～欧州は現在のロシアの上空を飛ぶ直線に近いルートと違って、アラスカのアンカレッジ経由の北周りコースと、香港、バンコク、テヘラン、ベイルート経由の南周りコース。給油が主な理由だが特に南コースは離発着、その都度の入国手続きや待ち時間等、結構大変だった。その点、北コースは一度だけの給油、何よりアラスカの窓外の雪景色と秀峰マッキンリーは素晴らしかった。また、大きな免税店が魅力的で1時間の待ち時間が足りない位だった。そんな中でKLMオランダ航空の明るいブルーで装ったジャンボ機は評判が高かった。</p>
<p>オランダ滞在で私は不思議に大きな節目の出来事が多かった。初めての海外遠征は1971（昭和46）年、ハンドボール女子の世界選手権。デンマーク、スウェーデン、ドイツ等をトレーニング・マッチで廻り、最後は会場のアムステルダムから遠くないパーペンダールのスポーツシュウレーに約2週間滞在した。12月初旬、日照時間が短く朝10時ごろに太陽が昇り、午後3時ごろには沈む、しかも霧深い季節なので日本の初冬の寒さはあっても澄んだ青空とは大違い。この大会後、イタリアのローマを訪れたが燦燦と降り注ぐ陽光を心地よく体で受けとめた記憶は鮮烈だった。但し、帰路は南周りの苦行路線だったが、私の海外遠征のデビューだった。二つ目は1973年、東欧での強化合宿を終えての帰途、アムステルダム・スキポール国際空港で乗り継いで帰国の予定が、悪天候でユーゴからの便が遅れて、乗り継ぎ便に間に合わなかった。JALの手配でその夜はアムステルダムのホテル・オークラに一泊したが、なんと搭乗予定の日航のジャンボ機が離陸後間もなくハイジャックされて、中東アラブ首長国連邦のドバイ空港を経て、最後はアフリカのリビアのベンガジで犯人グループによって爆破された。もちろん乗客・乗務員は全員降ろされ生命に危険はなかったが、まさにその便で帰国するはずだった。三度目は1997年に熊本で開催した、男子世界選手権がIHF（国際ハンドボール連盟）理事会で決定したのもオランダのデン・ハーグのホテル。それまでに1993年のスウェーデンの男子大会視察に始まり、中東のクエート、カタール、バーレーンでのアジアの票固め、スイス・ローザンヌやアメリカのサウスキャロライナのIHF理事会、アイスランドの大会視察等を経ての、大詰めの理事会での熊本決定。当時の田尻靖幹熊本市長が現地から、熊本の福島譲二県知事に『只今、決定しました』と国際電話で一報を入れたが、それまでの経緯を振り返り、その夜はシャンパンでの乾杯だった。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/292-1.jpg"><img alt="292-1.jpg" src="/blog/res/cache/2015/04/292-1-thumb-600x400-54048.jpg" width="600" height="400" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>オランダは英語圏の読み方ではNETHERLAND～低地国と言い、山が少なく海抜ゼロ以下の所が国土の25%にも及ぶ。北海に面し風が吹き抜けるので名物の風車の建物が多く目に入る。フラットな地面なので自転車が大変普及していて、観光客も手軽に借りて乗り捨ても便利。また首都のアムステルダム市内の移動は水路利用も多く人気がある。国立美術館ではレンブラントの大作「夜警」に圧倒されるし、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」や「牛乳を注ぐ女」も鑑賞した。彼の代表作の「真珠の耳飾りの少女」は、オランダの政治や行政の都市、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館に展示されており鑑賞した。その時は北欧遠征の帰途に立ち寄ってデン・ハーグの北海に面したホテルに泊まったが、前述した1997年の男子世界選手権の開催が決まった場所と同じホテルで、15年後に熊本の招致委員会のメンバーと再訪することなど知る由もなかった。</p>
<p><figure><a href="/blog/res/292-2.jpg"><img alt="292-2.jpg" src="/blog/res/cache/2015/04/292-2-thumb-600x571-54050.jpg" width="600" height="571" class="mt-image-none" style="" /></a><figcaption>（フェルメール「真珠の耳飾りの少女」）</figcaption></figure></p>
<p>国民の体位は周辺の国より頑丈で、長身の人が多く、少し尾籠（びろう～不作法・人前で失礼に当たる）だが、男子トイレの便器がやたらと高く、180㌢の私も伸びあがる感じの表現で察していただけるだろう。サッカーのこの国のFIFAランキングは6位、世界の列強の一角、現在ではアリユン・ロンベンやヴェスレイ・スナイデル辺りが活躍している。2002年のW杯で韓国を率いた、フース・ヒディングも同国人。何よりスポーツ界でのヒーローは1964（昭和39）年東京五輪の柔道無差別級で優勝したアントン・ヘーシング選手。柔道はまさに日本のお家芸、それも無差別の最重量は五輪のシンボリック的な種目だった。当時、日本人より日本人と評された。196㌢の巨体で「オランダの巨人」と呼ばれ、オランダはこの快挙に湧きあがり、彼の出身地のユトレヒトには彼の名前を冠した「ヘーシング通り」が今も現存する。</p>
<p>アムステルダムで見逃せないのが、「アンネ・フランクの家」、市の中心部のダム広場から徒歩で10分位の位置。アンネは1929年生まれだから、生きておれば80歳台。ユダヤ人の家庭に生まれ、ナチスのヒトラー政権のユダヤ人迫害を逃れて、13歳から15歳の多感な時期に隠れ家に一家で身を潜め、その間に記した日記が「アンネの日記」。16歳で捉われ収容所で亡くなるのだが、彼女の死後、世界的ベストセラーになったので、読まれた方も多いと思う。オランダを訪れる際は是非一度訪れて貰いたい場所だ。</p>]]></description>
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<pubDate>Tue, 14 Apr 2015 17:54:30 +0900</pubDate>
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<author>一般社団法人 熊本県サッカー協会</author>
<title>第291回　世界で最も貧しい大統領のスピーチ</title>
<description><![CDATA[<p>先日、テレビで「世界で最も貧しい大統領」のタイトルで、ウルグアイ第40代大統領、ホセ・ムヒカ氏の生き方、考え方が紹介された。ある日、同国の人が田舎道でヒッチハイクをしていると、ポンコツに近い古ぼけた車が止まってくれた。乗り込んで運転手を見ると太った老人、しかし、よく観察してみて驚き『もしかしたらホセ大統領ですか』と訊ねると、『そうだよ』と笑顔で答えた。</p>
<p>郊外の静かな農園で質素に暮らし、個人資産は約18万円の車のみ。南米の小国ウルグアイに世界最貧とも言われる大統領の生き方・考え方～豊かさとは何か、人生で大切なことは何かのスピーチに世界中で感銘を受ける人が続出している。一昨日、上通りの書店で、汐文社発行のくさば・よしみ編、中川学絵の「世界で最も貧しい大統領のスピーチ」の絵本を見かけ、早速買い求めた。絵本という体裁だが大人が読んでも楽しめ、老若男女を問わず読める本として、好評らしい。ご存知の方も多いと思われるが、私も感動した話しだったので出典はインターネットの検索とこの絵本からの転載だが紹介したい。低学年向けで平易な表現になっている。</p>
<p><a href="https://kumamoto-fa.net/blog/res/291-1.JPG"><img alt="291-1.JPG" src="/blog/res/cache/2015/04/291-1-thumb-600x399-53886.jpg" width="600" height="399" class="mt-image-none" style="" /></a></p>
<p>2012年、ブラジルのリオデジャネイロで国際会議が開かれた。環境が悪化した地球の未来について、話し合うためでした。世界中から集まった各国の代表者は、順番に意見を述べていきました。しかし、これと言った名案は出ません。そんな会議も終わりに近づき、南米の国ウルグアイの番がやってきました。演説の壇上に立ったムヒカ大統領。質素な背広にネクタイなしのシャツ姿です。彼は世界で一番貧しい大統領なのです。大統領の報酬月額25万ウルグアイペソ（約115万円）の9割近くを社会福祉基金に寄付し、大統領の公邸には住まず、町から離れた農場で奥さんと暮らしています。花や野菜を作り、運転手付きの立派な車に乗る代わりに古びた愛車を自分で運転して仕事に向かいます。身なりを構うことなく働く大統領を、ウルグアイの人は親しみを込めて「ペペ」と呼んでいます。さて、ムヒカ大統領の演説が始まりました。会場の人たちは小国の話にそれほど関心を抱いてはいないようでした。しかし、演説が終わった時大きな拍手がわきおこったのです。</p>
<p>"ここに集まった世界各国の代表者とあらゆる組織の代表者の皆さまに、深く感謝します。そして私の前に演説をされた方々は、きっと高い志を持って話されたことでしょう。その高い志に感謝いたします。さて、私たち哀れな人類は、どんな未来を選ぶべきなのでしょうか。このことに意見を一致させようと、世界中の代表者がいま心を一つにして話し合おうとしています。この姿は、このままではいけない、何とかしないといけないと、皆が強く思っていることの表れです。しかしながら、声を大にしていくつか質問することをお許しください。今日ここでずっと話されていたことは、人類がこのさき、地球の自然と調和しながら生きていくにはどうしたらよいのか、そして世界から貧しさをなくすにはどうしたらよいのかと言うことでした。しかし一方で私たちの頭には何が浮かんでいるでしょう。欲しいものがどんどん手に入る、裕福な社会を望んでいるのではないでしょうか。私は皆さんに問いかけます。もしもインドの人たちが、ドイツの家庭と同じ割あいで車を持ったら、この地球に何が起きるでしょう。私たちが息をするための酸素がどれだけ残るでしょうか、もっとはっきり言います。70億や80億の全人類が、いままで贅沢の限りを尽くしてきた西洋社会と同じように、物を買ったり無駄遣いしたり出来ると思いますか。そんな原料がこの世界にあると思いますか～中略。人より豊かになるために、情け容赦のない競争を繰り広げる世界にいながら「心を一つに、皆んな一緒に」などと言う話が出来るのでしょうか。誰もが持っているはずの、家族や友人や他人を思いやる気持ちはどこにいってしまったのでしょうか。こんな会議をして無駄だと言いたいのではありません。むしろその反対です。私たちが挑戦しなくてはならない壁は、とてつもなく巨大です。目の前にある危機は地球環境の危機ではなく、私たちの生き方の危機です。今や自分たちが生きるために作った仕組みを上手く使いこなすことが出来ず、むしろその仕組みによって危機に陥ったのです"</p>
<p>スピーチはもう少し続き、随所に心をうたれる言葉がある。幾つか拾い記述したい。<br />
"貧乏とは少ししか持っていないのではなく、無限に欲があり、幾らあっても満足しないことです"<br />
"お金が余りに好きな人たちには、政治の世界から出て行ってもらう必要があるのです。彼らは政治の世界では危険です。お金が大好きな人は、ビジネスや商売のために身を捧げ、富を増やそうとするものです。しかし、政治とは、すべての人の幸せを求める闘いなのです"<br />
まさに至言であり、世界中の人々に、そして最後の言葉は世界中の政治家への警鐘のスピーチと受け止めたい。<br />
"清貧"ムヒカ大統領の生涯が、世界3大映画祭を制した、エミール・クストリッツア監督で映画化決定。</p>
<p><a href="/blog/res/291-2.JPG"><img alt="291-2.JPG" src="/blog/res/cache/2015/04/291-2-thumb-600x386-53888.jpg" width="600" height="386" class="mt-image-none" style="" /></a></p>]]></description>
<link>https://kumamoto-fa.net/blog/2015/04/07000060/</link>
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<pubDate>Tue, 07 Apr 2015 17:41:39 +0900</pubDate>
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