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第254回 回顧~ウクライナ

3月17日。ソチ冬季パラリンピックが閉幕、日本勢は金メダル3個を筆頭に各種目大健闘だった。急斜面を不安定な姿勢でもの凄いスピードで滑降する場面には、驚き、トライする勇気に心を打たれた。バイアスロンの来島桃子選手は審判員の不手際で優勝を逸した日本選手団は抗議文書を提出したそうだが、国際委員会に却下されたとの報、国内では正しく評価してあげたいものだ。それにしても五輪、パラリンピック共に、当初懸念されたテロが発生しなかった事に、安堵と未然に防いだであろう警備に拍手をおくりたい。

さてその間に、ソチからは至近距離のウクライナ南部のクリミア半島を巡って、国際紛争が激しさを増した。欧州の穀倉地帯と言われ、ポーランド、ルーマニア、チェコ、スロバキア、ハンガリー,旧ソ連領のベラルーシ、そしてロシアの国々と国境を接するウクライナ。1991年のソ連崩壊で独立した同国だが、黒海に面したクリミアがロシアに実行支配され危機に瀕している。このウクライナにはかって2度訪れた。最初の訪問は、1975年の12月、まだソ連邦だったウクライナの首都キエフに8日間滞在した。ソ連の首都のモスクワを東京と例えると、キエフは京都と言った感じでドニエブル川の中流域でスラブ文明の歴史的な建造物が多く、学門や芸術そして産業の中心都市でもありスポーツも盛んな所。

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(キエフ 帽子もコートも借りもの)

1975(昭和50)年、第6回ハンドボール女子世界選手権大会の開催地はソ連。日本が出場する予選Cグループ会場がウクライナのキエフ。市の中心部に世界遺産の聖ソフィア大聖堂があり、聖堂内に足を踏み入れると思わず襟を正す荘厳な雰囲気。また地下墓所のカタコンベも東欧では有名。カタコンベは欧州では数多く、観光で訪れた人も気軽に見られる。ローマやパリの地下も大規模で、パリのそれは数百㌔に及び、1~2次大戦ではレジスタンス(侵略者や占領軍に抵抗する活動)の秘密基地として利用された。ウィーンの中心部の聖シュテフアン寺院のそれは、地下からの出口がモーツァルト所縁の場所で、流石に音楽の都だけのことはある。また1986年原発事故のチェルノブイリはキエフからは北に僅かに130㌔の距離。爆発が発生した当時、強い南からの風が幸いして、殆ど被害は無かったようだ。

最初の訪問の際の入国は、当時ソ連領だったバルト三国の一つ、リトアニアの首都ビルニュウスからで、12月のこの地はマイナス15度前後の極寒。ビルニュウス発の遅い時間帯のウクライナ・キエフ行き。国際空港と言っても現在の熊本空港よりはるかに小さく、貧弱。そして搭乗予定の小型旅客機は機体が雪に覆われて凍てついていた。見ていると消火の際に見かける梯子を伸ばした先端に人がいて、温水の出るホースで左右から機体の氷や雪を溶かし始めた。20分程の作業が終わり、なにやら湯気の立ちのぼる機内に誘導された。60人乗り位のプロペラ機、乗り込む順番は女性から、レディファーストと思いきや、女性の体重は厚いオーバーコートの下は見た目と違うらしく、座席は指定ではなく乗務員が女性の乗客を一瞥して席を指差してバランスをとってから、男性乗客が乗り込み空いた席に。席に着き窓の外に目をやると溶かしたはずの翼がまた凍りつき始めていて、なんでも良いから早く出発しての心境。すぐにポケットのウオッカの小瓶を取り出し口に放り込む。1時間半のフライトだったが、今も忘れない体験だった。

スポーツはとても盛んで、世界的に有名なのは"鳥人"と呼ばれた、男子棒高跳びのセルゲイ・ブブカ選手。屋外での6㍍16は今も世界記録。屋内の6㍍15は今年の2月16日にフランスのルノー・ラビレニ選手に6㍍16に更新された。更新といえばブブカ選手は世界記録を35回も更新している。その数字に驚かれる方が多いと思うが、実は彼は1㌢刻みで世界記録を伸ばし、例えば日本の大会に出場する際、契約書に世界記録を出せばボーナスを貰える契約。1月後のフランスの大会でも同様の仕組み。自分のキエフの練習場では6㍍20位は飛んでいたらしく、1㌢刻みで賞金を稼いでいたわけだ。五輪やWCがスポーツビジネスと言われて久しいが、彼は個人でスポーツビジネスを実践した男。6㍍16を跳んだ後はやはり力つきたのだろう。日本人の美学では飛べたら一気に誰も届かぬ高さを飛ぶだろう、いや、世界中のアスリートだったら同様の思いで一気飛びだろう。かの地ならではの、ブブカならではの発想と理解するのが順当だろう。

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