第270回 回顧~韓国
9月19日から韓国・仁川(ソウルから西に50㌔)で第17回アジア競技大会が始まる。今では仁川は大型国際空港でメジャーな地だが、それまでは金浦空港(ソウルから東に25㌔)が主で、仁川は海辺で海産物の店が立ち並ぶ寒村だった。韓国は自国をMorning clearと称する、これは文字通り朝鮮やかな国、つまり「朝鮮」である。国際社会の標準時の英国グリニッジ天文台からみて、朝の早い鮮やかな地の意味だが、因みに日付変更線に一番近い日本を欧州の彼らは「日いずる国」つまり「日本」である。そしてそれらの国を東の極み、極東と言いFar east(遥かなる東)と呼ぶ。韓国にはたびたび出かけたが、1972(昭和47)年から1981年までの10年間、深夜の0時から明け方の4時までは、外出禁止の戒厳令が施行されていた。仲間との遅くなった夜は時間が迫ると真剣に大急ぎで宿に帰ったものだった。また、北朝鮮との国境を挟んでの軍事境界線の「板門店」は、いつも緊張感でピリピリしている。1976年には境界線にまたがるポプラの大木の枝を落としていた米軍兵士が越境とみなされ殺害される事件も発生した現場。なお、板門店ツアーの途中、もし不慮の事故が起きても一切の保障は受けられない。
訪韓は大きく分けて5つの立場だった。1970(昭和45)年、釜山(プサン)の「白花醸造」という会社の依頼で発足したてのハンドボール社会人女子チームの指導に。監督はキム・ミョンウー氏。熱心で真摯な指導者で翌年の1971年には熊本での第12回全日本実業団大会にゲストチームとして招へい。1972年の室蘭大会にも参加してもらった。当時、大洋デパートチームはいわば全盛期で、両大会を含めて国内の4大タイトルを手にした頃でもありチームでも遠征した。キム氏はその後渡米、ロサンゼルスで成功、1988年のソウル五輪では久しぶりに会い旧交を温めた。彼は人格者で協会の後輩たちに『日本の井さんに大変お世話になった』と言い残したお陰で、以後、儒教の国で年上を大切にする韓国の指導陣からは『井さん、キム先輩がお世話になりました』と、今もそれは続いている。
1976年のモントリオール五輪出場後は、立石電機チームとして力を付けた韓国チームとのレベルアップのための目的で、大田市の「造幣公社」チームと相互に訪問する交流が続いた。郊外の扶余(プヨウ)は紙幣の原料のミツマタの産地、韓国には数少ないが温泉もある。大田と言えば当時は忠清南道の首都だったが、現在は広域大田市でこれは熊本における県と市の政令指定都市の関係に似ている。熊本県と忠清南道は姉妹都市を締結しており、昨年、交流30周年の節目を迎えた。その一環として双方の体育協会の競技力向上の交流が30年来行われている。私も、団長や役員として度々訪れた。また、2002年には安眠島での「国際花の博覧会」にも出かけた。
1988年はソウル五輪。前述のキム氏の手配で陸上競技、100㍍のベン・ジョンソン(カナダ)とカール・ルイス(米)の決勝も観戦できた。金メダルを獲得したベン・ジョンソンが直後のドーピング検査で失格、替って2位だったカール・ルイスが金メダルを手にした。これは米国とカナダの国際陸連の力関係で、当時、陸上界でも喫緊のテーマだった薬物使用の世論喚起のターゲットにされたとの見方が広がった。というのは、後に米国の陸上選手が幾人も処分を受けたことが証明している。
私はソウルでのフリータイムには、雰囲気が日本の京都や奈良に似た骨董の町の仁寺洞(インサドン)や水原(スーウオン)の民俗村をよく訪れた。歴史を学ぶ風俗等に興味があったが、ソウル滞在中は肉料理やアルコールが多いので、民俗村の薬草処法の薬膳の苦い飲み物で、消化をすすめホッとしていたのが事実。
1997年からの日本体育協会理事の時代は、日韓交流行事の団長での訪韓が多かった。日本を代表する形の訪問は空港の出迎えから違って、歓迎セレモニーも盛大だし、空港からの移動もパトカー先導という物々しさ。ソウルから西北に50㌔の江華島(カンファードウ)での一週間は、名産のうなぎ料理三昧。ほかにキムチに不可欠の唐辛子の産地で島内のどこを歩いても日干ししてあり、出荷の準備が進められていた。もちろん、スポーツ交流は国際親善の目的を十分果たせたと自負している。
ただ、そんな民間交流を続ける両国だが、最近の国家レベルの軋轢はフランクな感情での交流にも影を落としそうだ。2002年のFIFAワールドカップは決定していた日本開催に、韓国が半ば強引に割り込んで二カ国開催となった。経済的な発展の自信が対抗意識となる事例がこのところ多く、積み上げてきた友好の絆がともすれば崩壊しそうな不安を覚える。近年の浮ついた韓流ブームは去った、むしろ喜ばしい。民間の出来ることで足を地につけ、お互いを敬い建設的な友好関係を再構築したいものだ。まずは仁川のアジア競技大会の成功にむけ、皆でがんばろう。