第272回 錦織 圭 選手の快挙
俄かファンだが、テニスの全米オープン男子シングルスを堪能した。それにしても錦織選手の渾身のプレーは本当に素晴らしかった。国内のメディアはこぞって生い立ちから現在に至る錦織選手のエピソードをまじえ大活躍を報じて、やや旧い表現ながら大フィーバーが起きている。5歳の時テニスのラケットを振り回す映像を、専門家は「天才的」と評したそうだ。その中で私が興味を覚えたのは、小学生時代、国内タイトル全国3冠という偉業もさることながら、テニスの他に野球とサッカーをしていたこと、更に幼少期にはピアノも習っていたということと、13歳で単身渡米した際に出発の空港で見送りに来た家族を振り返らずに搭乗して行ったということ。そんな先天的素質に加えて、単身渡米する心意気。後天的には素晴らしい環境で切磋琢磨した努力、そして本格的指導を受けるようになったマイケル・チャン氏との出会いだったろう。あれこれ訳知り顔の門外漢の情報の拾い読みはこの位にして、スポーツの育成期の本人、および家族、指導者、環境について考えてみたい。
県教育委員会はこのほど、県内の小学校の運動部活動を見直し、早ければ来年度から順次、学校外部組織が運営主体となる社会体育に移行する考えを発表した。主旨は「部活動の過熱や担当教職員への負担の歯止め」としている。その受け皿として「総合型地域スポーツクラブ」を視野に入れる。私はもう20年近くなる文科省主導のこの「総合型地域スポーツクラブ」について発足当時から、その成否を疑問視していた。国が将来を担う子供たちやすべての国民の健康で明るい社会づくりを目指すのであれば、指導者養成や、施設不足の解消等に本気で取り組まなければ「絵に描いた餅」になりかねないと、いろいろな所で発言し、記述してきた。
ここで地域スポーツの理想的なモデルとしての欧州の社会体育システムを紹介したい。学校体育の存在しない欧州は、学校の授業が終わると下校、それから町のクラブに出かける。大きなクラブのイメージは日本のゴルフ場のクラブハウスを考えたい。ゴルフ場はそれを囲むようにゴルフコースが拡がるが、欧州のそれはクラブハウスを中心に陸上のトラックや、サッカー、ラグビーのグラウンドが数面。室内競技用の体育館。そこではバレー、バスケ、ハンドやバドミントン、体操競技、プールやアスレチックルーム、メディカルルーム。シャワー、更衣室、レストラン、ミーティングルームまた簡易宿泊のスポーツシューレもある。そこには年代やレベルに応じた指導者がいて、子どもたちに基本技術や基礎体力の向上を教えるし、スポーツのルールを通して社会の規範や頑張りぬく精神力等を指導する。社会人も仕事の余暇には自分の好ましい時間帯にクラブに通える。クラブの運営費は各人の納める使用料が主だが、建物や各施設や敷地は地方自治体と企業の協力で準備されるのが普通。だから、使用料で指導者の給与や維持費を賄える。それは、国民の健康、体力の向上が国家の幸せに通じるとする、国と企業の"スポーツは文化なり"の思惑が好ましく手を結んだ経緯にある。わが国でも多少姿は変わるが、昔から武道の道場通いや芸事の習得の場もこれに近い姿は見られる。
話を戻して、国として本格的に関わって欲しいと思うと、そこには"財源難"の言葉がついてくる。ものは考えようで、国際社会に共存する使命としての、貧困国や発展途上国へ支援するODA(開発援助・無償援助資金)。その中には、かっては必要だったろうが、時代の流れの中で力をつけ、十分に国力を回復したばかりか、軍備を増大させて、我が国に軍事的脅威をしかけてくる国にも、日本は律儀にODAで年間300億円余を援助している。その累積は3~6兆円ともいわれる。スポーツ団体のHPのブログなので政治的発言はこれ位で止めるが、言いたいのは「お金の使い方が変ではないか」ということ。この十分の一、いや百分の一でも、国民の健康、体位の向上と言う視点で対応してもらいたい。施設を充実させ、質の高い指導者を養成して地域のスポーツの発展に寄与する、そんな施策であって欲しいと欧米を歩き見てきた私の自論。
ただ、これからは学校の授業や行事が終われば、「総合型地域スポーツクラブ」に解放されるとすると、従来の形と大きくは変わらず、生徒の時間的負担は軽減される。問題は指導者だが、先生と民間の二つの立場の協力態勢が望まれる、その際の指導者への謝礼は受益者負担は仕方がないが、余り一つの競技に特化するのではなく、色々な種目を楽しみ、自分に適した競技を模索する、そんな伸びやかな小学生時代であっても良いと思う。いや、英才教育でないと遅くなるとの意見もあろうが、錦織選手を始め世界で活躍する、体操の内村航平選手、ゴルフの石川遼選手、スキージャンプの高梨沙羅選手、フイギュアスケートの浅田真央選手のいわゆる錦織世代の面々も、中学あたりからは専門競技を本格的に始めているが、それ以前はいろんなスポーツや音楽、絵画等、楽しんだ時代があり、むしろ、そんなに早くから「そればかり」では先で大きく伸びないケースが多い。スポーツは楽しむことから始めては如何だろう。錦織選手の快挙から思わぬ方向に話が進んでしまった。