第274回 回顧~南仏ボルドー・コニャック
ワインで世界的に有名な南仏のボルドー、そしてブランデーの名産地コニャック。少し説明の必要がありそうだ。ワインは葡萄から造る醸造酒のなかの単発酵酒、同系に日本酒やビールがある。ブランデーは同じく葡萄を蒸留して造る蒸留酒、ウイスキー、バーボン、焼酎、沖縄の泡盛も同系。コニャックはブランデーの代名詞となっているが、じつはボルドーと隣り合わせの南仏の町の名前。双方の町をガロンヌ川が流れビスケー湾に注ぐ。1970年代から80年代に女子ハンドボール日本代表のコーチ、監督を務めフランスへの遠征も多く、パリはもちろんだが、地方での滞在も少なくなかった。
ボルドーには3度訪れ、フランス代表や地元のチームとゲームを行った。特に代表とのゲームでは主賓扱いを受け、夜7時からのゲーム終了後、シャワーを浴びてブレザーに着替え市長主催の晩さん会に出席。市庁舎の大広間での夕食会には地元の名士も多く参加しての大賑わい。市長の挨拶で『日出る国、日本からの皆さんを、今晩は○○年物のワインで歓迎します』とスピーチすると、会場は大歓声。通訳の方に訊ねると『市長の今晩のおもてなしは凄い、○○年のワインはとても良い出来の物ですよ』と。それは、我々日本チームだけではなく全ての出席者に対しても振る舞われるしきたりで、会場が湧き銘酒が会場に行きわたり文字通り深夜までの宴。翌朝、市庁舎に市長を訪ねお礼を述べながら世界の各都市との友好都市のフラッグを見せてもらう。日本の都市名もあり、当然、葡萄酒の関係で山梨県か甲府市あたりかと思ったが、何と福岡市と姉妹都市だった。怪訝に思い訊ねと『福岡とは港湾都市として以前から関係が深い』との答えに不明を恥じた。
ボルドーからバスで1時間余でコニャックタウンに到着。バスの窓外には葡萄畑が連なる。昼間のゲーム終了後、ブランデーで世界的ブランドのヘネシー社を訪れた。ひと通りの挨拶が済むと頑丈な建物の地下に案内された。ほどなく小さなブリッジを渡る際に鉄格子の奥に、古ぼけた酒樽が幾つか横たわり、中には倒れた樽や崩れかけた物もある。薄暗いその場所には蜘蛛の糸も掛かっていて何やら不気味。通訳の方に『一体これは?』と訊ねると『ムッシュ イー(井さん)、ここは創業時の年代物の原酒が眠る場所で世界中の酒飲みからパラダイス(天国)と呼ばれる、聖地です』との説明を受けた。さらに倉の中へ進むと、高さが5㍍くらい有りそうな大きな酒樽がずらりと立ち並ぶ。その一つの樽の下部に水道の蛇口に似た金具が取り付けてあり、ひねると中に仕込まれたブランデーが指先を濡らす。私はそれをペロリと舐めまわすと、通訳の彼が自分の人差し指を立てて『ノン、ノン(駄目、駄目)』と言う。なぜ、と訊ねると『日本の方は、すぐ舐めて味を確かめるが、フランス人は舐めずに、鼻先で香りを楽しむ』なるほどと合点がいったが、少々気恥ずかしい体験だった。
毎年11月の第3木曜日に新酒のワインがボジョレヌーボとして出回り、世界中で一番朝の早い日本がその新酒のお披露目となる。メディアもこぞって報じるが、初物と言うだけでワインの持つ時間をかけたまろやかさに欠け、決して美味いものではない。本場の欧州ではレストランの入り口に深い緑のリボンのブーケが飾られると、それが新酒のワインが入荷しましたと言う合図で、だからと言って常連が競って飲む訳ではなく、日本のあの騒ぎは、高度成長期に商ビジネスに煽られた風習と考えたいし、日本人としてもそろそろ脱したいものだ。一方、日本では確かにワインが随分飲まれるようになったが、コニャックはそれほどの機会は、少なくとも我々レベルではさほど馴染みがない。よく欧米の映画で人を訪問するシーンは、その人から『何か飲みますか』と聞かれて、グラスを渡され飲むのは欧州ではコニャック、英米あたりはウイスキーやバーボンだと思って間違いないが、日本ではそんな風習はあり得ない。
酒好きの私は訪れた国の「乾杯」を覚えることにしている。それは、その一言で未知の相手とぐっと身近になれる妙薬だから。"フランス Sante~サンテ!" "スペイン Sauld~サルー!" "ドイツ Prost~プロスト!" "スウェーデン Skal~スコール!"英・米 Cheers~チアーズ!"イタリア Chin Chin チンチーン!" "ロシア 3a baшe 3дopoвье サ・ワーレ・ズダローウィエ!" "ポルトガル Saude サウジ!" "トルコ Serefe シェレフ!" "ケニア Ninyuo ニニュオ!""中国・韓国 カンペイ! コンベイ!" これらの中で中々憶えられなかった"ハンガリーの エゲシュゲトラ!これだけで酔いが回った記憶がある。
今回は少し酔いが回って、南仏の明美な風光に触れ得なかった、又の機会にしたい。