第278回 回顧~チェコ
1964(昭和39)年の東京五輪から今年で50年。その時、開会式が行われた10月10日前後に、このほど熊本日日新聞が「東京五輪~熱闘の記憶」を5日間にわたり報じた。そのなかで体操女子の個人総合などで金メダル3個を獲得した、チェコスロバキアのベラ・チャスラフスカ選手(以下ベラ)が紹介された。その優美な演技と素敵な笑顔は会場を魅了して「名花」と評された。その時の印象を彼女は『メダル授与式には着物の女性が現れ、音楽も日本らしい美しさで感動した。童話の世界にいるみたいだった』と、日本を「第二の祖国」と愛したベラらしい表現で語っている。もう一人「人間機関車」と称された、男子長距離の雄エミール・ザトペックも同国人。68年に当時の母国の共産党政権に対する民主化運動を支持して、二人はスポーツ界から追放されたが、激しい弾圧と迫害を受けながらも志を曲げず、89年のソ連崩壊に伴う共産圏の民主化の実現で名誉を回復され、ベラはその後チェコ五輪委員会々長等の要職を歴任している。その彼女が東京五輪の翌年、長崎の国際大会に向かう途中で熊本に立ち寄った際の珍しい写真を紹介したい。旧熊本空港~現在の日赤病院辺り。出迎えには当時の熊本県体育協会の宇土虎雄会長とあるが、残念ながら宇土氏は写っていない。
この国は歴史的にはオーストリアのハプスブルグ家に統治され、その後、チェコはドイツに、スロバキアはハンガリーに支配されていた。第1次世界大戦後両国は一緒になり、チェコスロバキアの国名となった。ドイツ、ポーランド、オーストリア、ハンガリーと国境を接し、昔から周辺国の侵略を受け続けた歴史がある。89年の民主化を経て93年に分離してチェコとスロバキアの二つの国となった。だからベラやザトペックが活躍した1960~70年代はチェコスロバキアの国名時代であることをご理解いただきたい。
チェコの首都プラハはオレンジ色の屋根の家並みが美しく、ヴルタヴァ川に架けられたカレル橋は両側欄干の上にキリストの使途たちの像が30体並べられ、対岸のプラハ城が水面に美しく映える。ヴルタヴァ川はそこから北ドイツでエルベ川と合流、ハンブルグを経て北海に注ぐ。今年の9月には熊本から20名の方たちが訪れた由、そのお一人の荒木哲美氏が撮影した"カレル橋からプラハ城"の写真をお借りした。私もこの地を数回訪れたが、スポーツも盛んだが音楽と文学の芸術の国の印象が強い。70年代の5月に訪問した際は国民的音楽家ベドジフ・スメタナの、生誕の日から3週間にわたり行われる音楽祭の開会の日。新緑の「プラハの春」の祭典の賑わいの中に身を置き、ホップが効いて名高いピルゼンビールを片手に至福の時を過ごす幸運に恵まれた。
チェコに関しては、私が平成19年6月28日から、8月14日まで熊本日日新聞に「わたしを語る」の連載を担当。その中で紹介したチェコでの体験「ナイチンゲールとM先生」、すでに文章にしたものだが、それをお読みでない方も多いのであえて記したいと思う。ご笑読を。
ハンドボール女子日本代表チーム強化の欧州遠征での話。チェコのプラハ郊外のスポーツシュレー(スポーツマンのための宿泊所)に滞在していたある日、地元クラブチームとの試合を終えて宿舎に帰る途中のバスの中でのこと。バスの前の方の席で地元の役員と何やら話し込んでいた日本チームドクターのM先生が、後方の席の私の所に来て言った『井さんご存知でしたか、私たちの宿舎のすぐ裏に「ナイチンゲール」にゆかりの場所があるそうです。私は医者として興味があります。明日早朝に案内してくれるので一緒に如何ですか』。翌朝6時、私たちはロビーで落ち合った。案内されて宿舎の裏庭を抜けると、すぐに一軒の旧い民家があった。辺りは大きな木に囲まれた森の入口にあたる閑静な所。案内の人は時計を見ながら何やらつぶやき人待ち顔の様子。M先生は『この旧い民家がそうなんです』と言いながら、盛んにカメラのシャッターを押して『民家を背景に私を撮ってください。病院の看護婦さんに最高の土産になります』。そうこうしているうちに、辺りはすっかり明るくなり小鳥のさえずりが聞こえてきた。すると案内の彼が大きな木を指差して『ナイチンゲール、ナイチンゲール』と叫ぶ。状況が読めずにいた私たちもほどなく、鳴き声の主の鳥の名前が「ナイチンゲール」だと言うことが分かった。その時垣間見たM先生の表情と言ったらなかった。
その日の夕食時、私の食卓にかなり値の張りそうなワインが1本置かれていた。注文した覚えがなく怪訝(けげん~不思議で理解できない様子)な顔でいると、隣のM先生が小声で囁かれた『口止め料です』。医師として職業上「ナイチンゲール」の言葉に過剰反応されたのだろう。件(くだん)の鳥は姿形ともウグイスに似たツグミ科で、欧州南部に広く生息しているらしい。「口止めされていたのではないか?」ですって、この話はもう30年も前のこと、もう時効ですよね、M先生。