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第255回 春らんまん

桜も1月の沖縄の緋寒桜や2月の伊豆の河津桜で春の兆しを知り、3月末に本命のソメイヨシノの開花宣言から爛漫の春を迎える。ただ日本列島は細長く、九州や四国は3月20日頃から、末には関東、北信越。4月10日頃、東北、5月10日頃が北海道と桜前線が北上する。日本人が嬉しく心弾む季節の到来だ。この時期昔の人の上手い表現に春宵一刻値千金(しゅんしょういっこくあたいせんきん)がある。広辞苑~花は盛りで月はおぼろな春の夜の一刻の情趣は、千金にかえがたい価値がある。ただ、以前にも述べたが、春の代名詞の「おぼろ月や春がすみ」も、覚めた見方では中国大陸からの黄砂や飛来物現象。ここは固いことを言わず春を楽しもう。県内各地桜の名所は多いが、やはり熊本城は花見客で大賑わい。全国的には大阪の造幣局の桜の通り抜け。東京では皇居や靖国神社に近い千鳥が淵の桜は印象に残る。青森の弘前城の桜は4月20日頃からだそうで、数年前に出かけた知人も賞賛していたし、観桜の機会があれば是非にもと思う。

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(満開の桜)

24日快晴。午後、市の総合体育館での会議に出席。一時間ほど前に会場に着き、周辺の江津湖畔を散策した。県立図書館の脇からすぐに清らかな湧水に芭蕉のジャングル。夏目漱石や高浜虚子、中村汀女も愛した江津湖の風致地区は「文学の散歩道」とも言われ"縦横に水の流れや芭蕉林"の虚子の句碑もある。しばらく歩いていると4~5人のカメラマンの方々が三脚の上のカメラを覗きこんでいる。私は静かに歩みより小声で、『一体何を撮っておられるのですか』とお尋ねすると、その方が『覗いてみなっせ』の声。一礼してファインダーを覗くと、お腹の部分は茶色で背中と頭部は鮮やかなブルーの小鳥。湧水の上に茂る小枝に"カワセミ"が一羽。"飛ぶ宝石"と言われるほどの美しい姿。まだシャッターチャンスではないようで、タバコをふかしたり、のんびりとしたその雰囲気は、春の午後の一瞬時間が止まったような素敵な空間に思えた。文字通り水ぬるむ季節。

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(芭蕉林・カワセミ 川上明生氏撮影)

そして春は入学や卒業、入社や退職、別れや出会い、つまり離合集散の季節だ。若い時には胸弾む出会いや、感傷的な別れも、年を重ねるとその都度に心ゆれることも少なくなる。JFAアカデミー熊本宇城のスクールマスターや、済々黌高校の同窓会長として、3月には卒業生を送り、4月には新入生を迎える。若き獅子たち(私が前途有為な若者に、時折使う表現)の門出に贈る言葉、また迎え入れる歓迎の言葉は準備するのにも心弾むものだ。年老いての春の感じ方では竹内まりやの「人生の扉」の歌詞はうなずける。下手で恥ずかしながら私の持ち唄のひとつでもあるが、一抹の寂寥感は否定しようもない。

人生の扉                                  
One  春がまたくるたび ひとつ年を重ね 目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 気がつけば五十路を 超えた私がいる~(後略)
Two  満開の桜や 色づく山の紅葉も この先いったい何度 見ることになるだろう~(後略)
Three 君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように 長い旅路の果てに
輝くなにかが 誰にでもあるさ~(後略)

春と言えば、国際社会では「ジャスミン革命」や「アラブの春」がある。2010(平成22)年に始まった、アフリカ、チュニジアの革命(民主化運動)がアラブ諸国を中心とする独裁国家や専制国家に飛び火した民主化運動を指すが、別に春の季節に起こったのではなく、閉ざされた圧政からの脱出は、長い冬からの解放の意味で春の言葉が用いられるのだろう。大人も子供も銃を手にした映像を見かけるし、米国も銃乱射事件の有効な歯止策も打ち出せないでいる銃社会。これらに関する記事を見かけた。紹介したい。

20日の朝日新聞。ロンドン特派員メモ「銃見ない日常の値打ち」~治安の悪い国や紛争地の取材に必要な知識と心構えを身につける研修会~武器を学ぶ座学で銃身に「MADE IN JAPAN」と刻み込まれた小銃を目にした。本物かどうか定かではないが、珍しくてながめていると、元軍人の講師は『日本人なら日本製はよく見るだろう』と首をかしげた。『日本で小銃を見ることはあまりない』と言うと、講師は驚いて『治安が良いとは聞くが、小銃も見ないのか。平和だな。その空気は実際に肌で触れてみないとわからないな』。成程、今の日本で過ごすのもまた、貴重な経験なのだ。(平井良和)

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