第266回 W杯所感~3
6月12日に開幕したブラジルでのFIFAW杯、丁度1ヵ月をかけて7月13日(ブラジル現地)に決勝を迎えた。大会前には会場の準備の遅れに加えて、さまざまな国内問題が表面化して開催が危ぶまれたが、関係者の懸命の努力が実り、各会場満員の盛況で大きな問題や事故も少なく、ドイツ対アルゼンチンの決勝が行われた。ただ、開催国として代表チームの準決勝でのドイツ戦は1対7の惨敗、さらに3位決定戦でもオランダに0対3の敗戦は優勝を夢見た国民の期待を裏切るもので、大きな誤算だったと思える。それにしてもブラジルのルセフ大統領は表彰式でドイツ代表のフリップ・ラーム主将に優勝トロフィーを渡す際も無表情。"勝者に対するリスペクト"もホスト国としての"おもてなし"のかけらも感じられなかったのは残念。世界の富める国、貧しい国、国土が広い国、狭い国そんなことはお構なしの、まさに地球規模のサッカーW杯。国ではなく一つの都市で開催する五輪と、一つの都市でなく国で開催するW杯。2年後の2016(平成28)年には、このブラジルの一つの都市、リオデジャネイロで開催される五輪。この二つのビッグスポーツイベントが同じ国で殆ど同時期に開催されるのは前例がない。見比べるのも一興だろう。
ところで、日本代表の次の監督がすぐに決まりそうだが、何故そんなに急ぐのだろうと言うのが正直な気持ち。『貴方は解っていない、急がなければ良い人材を求められない』、そんなお叱りを受けそうだ。しかし、ザッケローニ監督が率いた日本チームが予選リーグを突破できなかった敗因の分析、戦術面の検証、それらの総括は一体いつどこで行われたのか。もちろん、3戦を終えた段階で監督、選手を交えて行われてはいるだろうが、全員が帰国して、日本協会主導でのさまざまな総括を経て、共同記者会見を行ってようやく次のステップが始まるのではないか。辞任したザック監督の離日も実に早かったし、いろんな理由はあるだろうが、主力の本田圭祐選手や主将の長谷部誠選手は、なぜチームと一緒に帰国しなかったのか。所属チームとの関係、あるいは治療が理由だろうが、予選を突破しておれば当然チームと行動を共にしていたはずだろう。スポーツの世界でよく言われる『負けた試合から学ぶ点が多い』。負けた時、苦しい時こそリーダーの人間性が問われているものだ、自覚を促したい。
監督の人選。外国人監督のメリットは「経験豊富」以外には余り浮かんでこない。デメリットは「言葉」もちろん通訳はいるが、微妙なニュアンスや咄嗟の指示もすぐに伝え難い。現に、W杯1戦目のコートジボワール戦、布陣変更の際の監督の指示は伝わらなかった。「生活習慣の違い」これも上手く行っている時は目立たないが、苦しい時は大きな障害になる。本人との契約金、報酬も決して安くないが、スタッフを何人も連れてくるから経費も馬鹿にならない。7月7日の日刊スポーツ紙の興味深い記事を紹介しよう。石川秀和氏の「侍ブルーの立て直し"強国に観るヒント"」20回目のW杯は、4強すべて母国監督で占められた。過去19回の優勝監督もいずれも自国出身。外国籍の監督が率いたチームはこれまで一度も優勝したことがなく、今回もその歴史は繰り返された。~欧州のトップクラブで活躍する選手が増えたが、海外の主要リーグで指揮したことのある日本人監督はいない。そうであるなら外国人監督と日本人選手のギャップを少しでも埋めることができるような日本人コーチが必要ではないか」。その通りだし日本人監督で良いと思う。自国監督でW杯の頂点に立つのは時間はかかるが、外国人監督起用のデメリットは日本人監督では反転してメリットになるではないか。
沢山の好プレーに酔ったが、コロンビアのハメス・ロドリゲス選手のボレーのスーパーゴール、あの直前の周りの確認、位置取り、身のこなし。それとドイツ決勝の1点のマリオ・ゲッツェ選手の左クロスを胸に受けてのボレーシュート。14日の熊日夕刊では1990年に当時の西ドイツを優勝に導いたベッケンバウアー氏がゲッツェ選手を『メッシと同じように本能で動き、素晴らしい技術を持つ。まるで相手がいないかのようにプレーする』と称賛している。確かにあの瞬間は堅守のアルゼンチンの防御ゾーンに人はいない感じだった。また、本大会はGKの活躍が印象的だったが、これもドイツのマヌエル・ノイアー選手。193㌢の長身ながら俊敏。シュートのキープはもちろん、ゴールポストから30㍍くらい飛び出して相手の攻撃の芽を再三に亘り摘み取ったまさに鉄壁の守りで勝利に貢献した。
熊日の国際・総合面のブラジル・サンパウロ在住熊本出身のジャーナリスト日下野良武氏の「ブラジル便り」。旧知の方でいつも興味深く読んでいるが、15日にはドイツの優勝を報じ、さらに『今回、ブラジルを訪れた日本人は約5千人。日本対ギリシャ戦はナタール市、2万5千人の市民が日本を応援したという。日本移民が築いた信用、貢献が基底にあるのを忘れてはならない』。と結んであった。我々は永い日伯(日本・ブラジル)の交流を改めて悟り、異郷での先人の努力に最大限の敬意を表したい。日下野氏には早速ご慰労のメールをお届けした。