本文へ移動する

第294回 タバコについて

まずは、タバコの魅力について、愛煙家通信~CONFORTから幾つか拾ってみよう。コロンブスがタバコを1492年以降にヨーロッパへ持ち帰り、吸っても大丈夫なのかというわけで、ある王様が奴隷を10人ぐらい集めて吸わせてみた。そうしたら、一人が恍惚の表情を浮かべているのを見て、王様が吸ってみたら、すごくうまい。「これは俺が吸う」と言うわけで奴隷はもう吸えなくなった。

英国首相のウインストン・チャーチルは「生涯で30万本の葉巻を炭にした男」と言われた愛煙家。年輩の方には葉巻をくわえた彼の写真の記憶があるだろうし、かつてのイギリス領の国々で発行された切手にも数多く、彼と葉巻のものがある。

294-1.jpg

評論家・金美齢さんのエッセーより~私は煙草を吸いません。だからこそ言おうと思うんです。愛煙家たちに煙草賛成と言わせないいまの風潮はどう考えてもおかしいですよ。喫煙は、健康に悪いといえば、確かに悪いでしょう。客観的に考えたって、吸わないほうがいい。おカネだって倹約できるしね。もし喫煙で身体を悪くしたら、それは個人の責任の問題。勝手に壊れればいいんです。喫煙っていうのは、長い歴史と文化を伴った人間の嗜好行動ではないですか。私がたばこ問題で言いたいのは、喫煙はマナーさえ守れば、完全に個人の嗜好の問題だと認識しろと言うことです。それがある日突然、受動喫煙がどうだ、健康の増進がどうだって騒ぎだして、嫌煙派が正義ですって嵩にかかってやっている、これはおかしいと思いますよ。

ジャーナリストの矢崎泰久氏~映画もいまはタバコを吸うシーンが極端に少ないですよね、だけど、もしタバコがなかったら、たとえば「カサブランカ」と言う映画は成立しなかったと思うんです。ハンフリー・ボガードがタバコをくわえてね、紫煙をくゆらせながらイングリット・バーグマンと別れるあのラストシーンなんて、言ってみればタバコが主役ですよ。宮崎駿さんもヘビースモーカーだから「風立ちぬ」でも、タバコのシーンをいっぱい描いていましたね。映画監督の市川崑さんがいつもタバコをくわえていましたが、彼は前歯が一本欠けていたから、ちょうどタバコが収まる。だからくわえやすいし、そこに次のタバコを差しておけば、吸いたくなったら火をつけて吸う、おもしろかったですよ。等々、枚挙にいとまがない。

さて、最近は本当にタバコを吸う人が少なくなった。県のサッカー協会の事務局のスタッフはもとより、会議等で集まる人たちも、皆無ではないだろうがタバコを吸う姿を見かけない。これはスポーツ界全体に言えることで素晴らしい風潮(時代の移り変わりによって生ずる世の中の傾向)だと思う。やはり、タバコのもたらす健康的不安に指導者たちは率先して、身をもって取り組んでいる姿勢の表れだろう。その点で不思議なのは行政のトップに近い人たちに意外と喫煙者が多い。ただ、会議場はもとより、国際会議等の場所でも灰皿の準備等はなく、休憩時間に愛煙家は場所を選んで紫煙をくゆらせている。都会の駅の一画や街なかの喫煙コーナーでも同様だ。こんな情景を詠んだ句に"煙草を吸う人の群れがいて、迫害を受けし異教徒のごとく寄り添う"けだし名句と思った。

そう言うが、「君はどうなの」と質されそうなので、私の煙草歴は以前の文にも書いたが『昭和28年6月26日の熊本の大水害。中学3年生の時だった。大洪水の翌日から授業などは出来るはずもなく、そのまま夏休みに入った。7月半ばに阿蘇の小国町(実家のある故郷)行きの災害後の試運転のバスに乗り込み、通常の倍の6時間余りを要して帰り着いた。川に面した我が家も水に浸かっていたし、周辺も同様だった。浸水した地区に米軍の慰問品が届けられ、家の倉庫に積んであったダンボールを開いてみると、肉や豆の缶詰に混じってタバコの箱が入っていた。60個余りのタバコを自分の部屋に持ち帰って開けてみると、兵隊用の「ラッキーストライク」と「キャメル」だった。私はその日から喫煙を始めた。当然、夏休みだけでは吸いきれなく、9月の2学期に学校に持っていった。教室の廊下を挟んで熊大教育学部のオルガン教室があったが、そこに同級生を誘いこんで「おい、これ」と差し出すと「何やそりゃ」「タバコたい、アメリカんね」と言う具合。みんな好奇心一杯の顔。ゴホン、ゴホンとむせながら吸った。以来病みつきになり、「今もタバコを手放せない」とぼやく仲間もいる。私はその後も吸って高校時代の素行の悪さの一つに喫煙があった。大学を出て大洋デパートの女子ハンドの監督になり、4年後に3人の日本代表選手が育ちチームから送り出した。この時の監督としての喜びは大きく、私は「何か思い出に残るように」と、中学時代からの煙草を手放すことにした。私が26歳の時だった、以来一本の煙草も口にしていない。

だが、煙草は嫌いではない。最近、キューバがアメリカと国交回復した。80歳くらいになったらキューバの首都のヘミングウェーが愛した、愛煙家の巣窟と言われるホテル・コンデ・デ・ヴィジャヌエバ辺りで葉巻をくゆらす夢もある、そんな先のことを?と言われそうだが、なに、3年余り先なのです。

294-2.jpg
(筆者が持っていたソ連時代のタバコのセット)

related posts関連記事

archiveアーカイブ

linkリンク

協賛・スポンサーについて