本文へ移動する

第299回 一杯・飲りますか

先の294回でタバコをとりあげた。ただ、タバコは27歳でやめたので、余り体験的なことは書けなかった。それに比べると、酒に関しては今も現役であり一般論ではなく、自分に関してのあれこれを述べてみたい。タイトルの「一杯飲りますか」は正しい使い方ではないが、"やりますか"の当て字としては、これほどぴったりの表現はない。酒との出会いは、故郷の本家が造り酒屋だったこと。親父が酒好きで75歳まで殆ど毎日飲んでいて、環境に恵まれたと言えるだろう。戦争末期、阿蘇の小国の片田舎、実家の庭先の竹やぶにも防空壕(ぼうくうごう・空襲に備えた穴)があった。そこに禁制の「どぶろく」の甕があり(もちろん酒好きの親父が仕込んだもの)、夕方になると私が親父の言いつけで汲み取りにいく日課、そのうち芳香に誘われ一寸指先を濡らして舐めるとこれが美味い。終戦の昭和20年に小学校入学なので、就学前のワルガキの頃に覚えた酒の味だった。

ご多聞にもれずサッカー関係の人たちも酒が好きだ。もちろん、私が関係したハンドボールを始め、多くのスポーツ団体の皆さん、いやスポーツに限ることではない、世間一般の皆さんもご承知の通り。2007(平成19)年6月、県サッカー協会の総会で会長に就任した。その前年の夏、当時、県体育協会の副会長だった私は、山都町(旧蘇陽町)の「そよかぜパーク」での県下キッズフェスティバルの催しに、県協会の北岡長生専務理事に『一度ご覧になりませんか』と誘いを受けた。了解の返事をした私は阿蘇でのゴルフを終え、高森の冷酒「霊山」を携えて、フェスティバル初日の夜のバーベキューに参加した。サッカー関係者との初めての酒席だった。翌年8月、会長の立場で大分・中津での国体九州ブロック大会に出かけ、夜は県協会の皆さんと名物の鳥料理で飲んだ。同年の藤野健一先生や藤家澄夫氏と胸襟を開いて盃を交わせるようになったのもこの時以来だ。

国体に選手・監督として30年出場で日本体育協会表彰を受けたのは1990(平成2)年の福岡国体。それ以降も役員で参加していたし、ハンドボールの夏の全日本総合選手権は国体の前年のリハーサルも兼ねて、47都道府県くまなく、それも何度も巡り訪れ、各地の酒を頂いてきた。それとは別に県体協の冬季国体の団長として小樽、妙高、富士吉田、蔵王、安比高原、田沢湖畔、苫小牧等に参加。雪深い東北、北海道で暖をとる意味も含めて飲んできた。田沢湖の宿ではついに酒がなくなり、宿の主人の『今晩は「床下誉・ゆかしたほまれ」にしましょう』と、出されたのは本当に床下の「どぶろく」。それに囲炉裏の上方につるしてある「いぶりがっこ」、沢庵の燻製状のもの、これが「どぶろく」にぴったり。福岡の前年の北海道国体は江別市の市長さんのお宅に民泊。以前の国体の民泊は、土地の名物を何でも準備いただいたが、ある時食中毒が発生、それ以降はすべて国体の献立に添ったものしか準備をいただけなくなった。心遣いはともかく正直に言って味気なかった。それが、市長さんのお宅では市長特命で北海道の珍味、海の幸が盛りだくさん、至福の滞在だった。

299-1.jpg
(冬季国体県選手団)

ビールは5月9日のロアッソ・アウェーの際に札幌でも話題になったが、確かに北海道で飲むビールは美味い。外国で頭に浮かぶのはドイツのミュンヘン。もちろん、チェコ等の周辺域も同じだが、北海道と緯度が似通うのが答え。1970年代にヒットしたサッポロビールのCMソングに"ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー"と言うのがあった。ミルウォーキーは米国のシカゴに近い所、これも緯度は同じ。1976年、五輪の三大陸最終予選が米国と決まり、私は冗談で『初めて行く米国、出来ればミルウォーキー』とほざいていたら、何と予選地がまさにそのピンポイントでミルウォーキー。勢いに乗って米国、アフリカを連破してモントリオール五輪への出場権を得た。米国映画ではビールを飲む際は殆ど、瓶から直接飲むスタイル。しかし、これが美味くない。やはりグラスに注いで泡を立てて飲むのが最も美味しく、食べものに無頓着な国だとつくづく思う。今、日本食が世界的に評価されているが、春夏秋冬のそれぞれの季節に酒を味わう食文化は日本が一番すぐれていると思う。

人類の来し方に関わってきた酒、世界の飲酒事情で、西欧諸国の主だった都市での楽しみ方は、多くの皆さんが経験していると思うが、ソ連崩壊前の旧共産圏の東欧、ソ連のモスクワ、ハンガリーのブタペスト、チェコのプラハ、ポーランドのワルシャワ、ルーマニアのブカレスト。基本はワインとウォッカに地酒(果実酒)だが、趣は西欧とはかなり異なった。モスクワの赤の広場の近くの"スラビヤンスキー・バザール"等の有名なレストランでは豪華なショー付きで民族料理、音楽も必須。そこの主役は「流浪の民」と呼ばれすぐれた音楽センス、ダンスや占いなど独自の文化をもつジプシーの存在。現在はジプシーの呼称ではく、「ロマ人」と呼ぶが、この人たちの音楽は素晴らしい。

299-2.jpg
(ジプシーに関する資料より)

東京では浜松町の「秋田屋」、銘酒「岩清水」と共に、焼き鳥、その他が素晴らしく、店内には殆ど座れなく、いつも店の外での立飲状態。博多の長浜通りの魚の美味い店、10年ほど前にはよく立ち寄った。当時、焼酎は自分で勝手に飲んで、勘定の際に自己申告。今も続いているのか大らかな店の雰囲気。那覇の安里の「うりずん」、古酒を「カラカラ~ロックの呼称」で飲る。三線(さんしん・蛇皮線)の響きに陶然の境地に至る。

こう書いて来ると私の半生はまるで酒浸りだが、70歳になった時に一つの決心をした。相変わらず外での会が多く、月ペースでは約15日、そこで半分の自宅では飲まないことにした。やはり体調にはてきめんに良い。何も越えられなかった父は晩年まで毎日飲んでいた。この面だけは越えられた嬉しさは格別の想いだ。

related posts関連記事

archiveアーカイブ

linkリンク

協賛・スポンサーについて