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第263回 下田行

GWが終わった5月は関係する団体の年度初めの行事や会議があいついだ。そんな忙しい中を縫う感じで大学時代のクラブの同級生仲間とその家族で伊豆の下田に出かけた。大学のクラブの春の合宿は1年次が浜松、2年次が下田の蓮台寺、3年次は同じ伊豆の土肥。いずれも温かい所できっちりと、しっかりと鍛われた記憶がある。その蓮台寺温泉を58年ぶりに訪れる企画。東京駅集合で「踊り子107号」に乗り込み一路下田へ。熱海からは太平洋を左に見ながら伊豆半島を南下する。

かつての、と言うより半世紀以上前の合宿の地を訪れる。一見、何か面白い、素敵な想い出でもあるのと思われがちだが、そんなことはなく、兎に角、練習三昧だった想い出しかない。強いて言えば蓮台寺の温泉が疲れた体を癒してくれた、その程度の地。古いフランス映画にペペ・ル・モコ(望郷)というのがあったが、誰の故郷でもないのに、望郷等と言う表現をしてみるのは、相当に年を重ねた男たちの証拠であり、「辛かった昔は、次第に忘れ去り、代わりに妙に懐かしい」だけの、何とも酔狂なご一行だが訪れた宿が実に良かった。

その前に下田に着いて、駅前のロープウエーで標高200㍍の寝姿山に登った。遠くに大島、利島、新島、神津島あたりの伊豆諸島が望めるし、見下ろせば黒船来航の下田湾が広がる。さして広くない湾に腐食除けに黒塗りした数隻の大型外国船の登場は驚かせたことだろう。ただ、ペリー来航の最初の地は下田と思われがちだが、最初の来航は1853(寛永6)年に神奈川県横須賀市の浦賀。翌年の1854年に上陸、日米和親条約で開港したのが下田。まつわる史跡が多く点在するが、外国人の休息の場所の了仙寺は丁度名物のアメリカジャスミンの甘い香りに満ちタイミングの良い訪問だった。

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(寝姿山より、眼下に下田湾 S氏撮影)

下田から北へ約2㌔ほど山間に登った所に蓮台寺温泉がある。湯出量が豊富でここから下田温泉に配湯されているらしい。学生時代の合宿の場所の安温泉宿をイメージしていたが、不確かな記憶でそんな雰囲気はなく、主将だった埼玉のI君の手配の蓮台寺荘に到着して驚いた。入口から玄関まで形を整えた樹木が茂り、砂利が敷きつめられた邸内。昭和8年に作られた数寄屋造りで古き良き時代の息吹を感じさせる。との宿のパンフの案内に偽りはない。また、下田周辺は金目鯛の水揚げが日本一で、まさに旬の時期でもあり食べながら飲みながら想い出話しに花が咲く一夜だった。

翌朝、ゆったりとした時間の中で嬉しい事実を知った。それは、この蓮台寺荘は私の好きな作家の山本周五郎がこよなく愛した宿だったのだ。「樅の木は残った」、「赤ひげ診療譚」、「青べか物語」等、大好きな本でありテレビや映画もよく覚えている。因みに「樅の木は残った」はNHKの大河ドラマ。「赤ひげ診療譚」は黒沢明監督、三船敏郎主演で、三船はこの作品でヴェネツィア国際映画祭の最優秀賞を受賞した。そして短編小説では最近上映された「雨あがる」寺尾聦・宮崎美子の小品だったが、清々しい時代もの。またこの作品では三船敏郎の息子の三船史郎が殿さま役で、父親そっくりの風貌で大いに楽しめた。まだ、最近の作品で時折テレビでも放映されている。お勧めの映画だ。最初はこれも大好きな藤沢周平の作品と思っていたが、山本周五郎のものだった。

宿の方にお願いして、山本周五郎が何度も逗留した部屋を見せていただいた。二階の奥の「萩の間」、この部屋で生まれた名作も少なくないとのこと。また、先日亡くなった渡辺淳一の揮亳というより、彼らしい軽いタッチの「わたしの中のもう一人のわたし」書もあった。これも宿のパンフに有る"文豪が愛した和の趣き。あたたかな静寂"の文が肯ける。そんな著名な人ではなく、一般客の寄せ書きをめくっていて、一泊だけだったが私の感じた印象に近い文が目に留まった"思いがけず本物の宿に出会った、心静かな時間を与えてくれる"~同感。

宿を離れる前に、板場の方に「わさび」が手に入るか聞いてみた。前日の昼食の際に「わさび」と「おろし金」が出てきて楽しめた。さすがに「天城越え」の~わさび沢、隠れ径の地。翌日、その食堂に立ち寄り買い置きを分けてもらう約束をしていたが、採取して少々時間が経っているような気がしたので、新鮮なものがあればと翌朝板場の方に聞くと、宿の近くの道の駅を教えてもらった。立ち寄ると3個しかなかったが買い求めた。帰りの列車を待つ間に前日の食堂にたち寄り、顛末を話しお断りしたが、気安く『また、どうぞ』の声に送られ、気持ち良く伊豆下田の旅を終えた。伊豆半島の蓮台寺荘、また訪れたい宿だ。

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